ヘッダー
池 大雅
IKE-no,Taiga

1723-1776(享保8-安永5)

町人の子として京都に生まれる。姓は池野、幼名を又次郎、通称は秋平、名を無名、字を貸成といった。号は大雅、霞樵など多数ある。幼くして書をよくし、7歳のときに宇治黄檗山万福寺を訪れ、杲堂禅師に書をもって神童と賞賛されたという。元文2(1737)年京都二条樋口に母とともに住み、扇屋を開いたと伝える。柳沢淇園、祇園南海らからの影響とともに、長崎から僅かながら入っていた舶載の木版画譜類を通して中国南宗画を学び、画家としてのスタートを切った。大雅はさらにそこに、日本伝統の大和絵、琳派や西洋の表現法を取り入れ、当時の文墨界に新風を吹きこんだ。のびやかな描線と明快な色彩を奥深い空間把握によって生かした独自の画境を打ち立て、与謝蕪村とともに日本南画の大成者といわれている。伊勢の韓天寿、甲斐の高芙蓉とともに富士山・立山・白山に登り、三岳道者と号したことは有名。その他、大坂の木村蒹葭堂や黄檗僧などとも幅広い交流をもった。代表作に《山水人物図襖》(和歌山 遍照光寺)、《楼閣山水図屏風》や、与謝蕪村との合作《十便十宜画帖》などがある。妻・玉瀾も画家として知られている。


 
龍山勝会蘭亭曲水
 

龍山勝会・蘭亭曲水図 (重要文化財)

1763(宝暦13)年
紙本着色 六曲一双屏風(各) 158.0×358.0cm
昭和60年度購入

大雅は中国的画題を大変好み、中国の有名な故事に依拠した作品を多くのこした。この作品も、中国・晋の故事「蘭亭曲水」「龍山勝会」に取材し、それぞれを両隻に描いて一双にしたものである。《蘭亭曲水図》では觴を流して詩を読んで楽しむ様子を山間の巨岩のなかに描く。《龍山勝会図》では左の3扇に近景として、本図の主題である龍山の勝景を描き、そこに猛嘉落帽の故事を描き込んでいる。奥行き感のある壮大な空間構成のなかに、岩、樹木、流水、人物などがのびのびとした筆致で描かれている。また色彩も豊かで、黄、緑、藍、朱、など大雅独特の明るい色調が映え、カラリスト大雅の画目躍如たるものがある。立体感を表わすため大雅がよく用いた手法であるが、金泥の線を、岩石のくくりや樹幹や人物の衣装などにかなり多く用い、ここでも大きな効果をあげている。さらに、大雅は人物の表情、動作など巧みに描き分け、その心理描写にまでも意を注いでいる。
本作は、《龍山勝会図》の款記により大雅41歳のときの作品であることがわかる。大雅は40歳代に代表的な作品群を生み出したが、本作品もそのうちひとつで円熟期の作風をよく示している。(I)                           


作品収集の方針と特色

主な収蔵品 作家名リスト 新収蔵品

TOP MENU

ロゴマーク Copyright (c) 1997-1999 Shizuoka Prefectural Museum of Art
禁無断転載・複写