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クロード=ジョゼフ・ヴェルネ
Claude‐Joseph VERNET

1714-1789

装飾画家であった父と歴史画家であったフィリップ・ソヴァンのもとで絵画の手ほどきを受けた後、アヴィニョンの貴族の邸宅の内部装飾を請け負う。1734年庇護者であったコーモン侯爵の力添えを得て、その後20年を過ごすことになるイタリアに旅立つ。風景画と海景画で知られた画家、アドリアン・マングラールに師事したらいが、まもなく17世紀のローマで活躍したクロード・ロラン、サルヴァトール・ローザ、ガスパール・デュゲなどの作品を研究するようになる。カンパーニャ平野やナポリ湾の眺めに取材した作品は、グランド・ツアーでイタリアを訪れた英国貴族たちの間で反響を呼び、なかでも難破船を揺さぶる嵐の情景は大きな賞賛を勝ち得た。イタリア滞在中、フランスの王立絵画・彫刻アカデミーの準会員となり、サロンにも1746年から89年まで継統的に出品している。ヴェルネの画歴で特筆されるべき仕事は、ルイ十五世の依頼に応じて制作した20点の連作絵画、『フランスの港』(パリ、海洋博物館)で、彼はフランスの主要な軍港や貿易港を描くために、1753年マルセイユを振り出しに、10年以上フランス諸地方を巡り歩くことになった。この連作に基づく版画が流布したこともあり、ヴェルネの名声は完全に確立されることになった。


嵐の海

嵐の海

1740年頃
油彩,キャンヴァス 89×167cm
平成3年度購入

ヴェルネが「難破船」という主題に着手した正確な年はわからないが、この主題との繋がりを説明するには、彼が17世紀のローマでながらく活動していたことを想い起こせば十分であろう。当時のローマは国際的な美術交流の中心であり、この都市に移り住んでいたパウル・ブリル、クロードロラン、ピーテル・ファン・ラールなどは、ヴェルネ以前にこの主題を取りあげていたからである。本作は18世紀の作品らしく、現実と空想を織り混ぜ構成されたもので、中景に配された円筒形の建築物はローマ市内にあるチェチーリア・メッテオの墓であり、遠方の岸辺はナポリ湾の眺めを連想させる。現存するヴェルネの他の作品が実例となるように、本作も2点ないしは4点で構成された連作の一つだったかもしれない。彼は一日の時間をいくつかのタブローで描き分けるという17世紀以来の伝統にしたがっていたが、そのやり方はもっと思い切りのよいもので、たんに朝夕の光の効果を対比させるのではなく、「静けさ」と「猛々しさ」を、つまり黄金色の日没の光に浸された長閑な風景と、難破船を飲み込もうとする嵐の海景を対比させたのである。無慈悲な自然の猛威を見せつけ、人間の悲劇的な最期を想像させる「難破船」は、18世紀後半に美の対立概念となっていた崇高に通じるモティーフと見られていた。(K)


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