1628/29-1682
17世紀オランダの画家、版画家。額縁職人にして画商であったイサーク・ファン・ロイスダ一ルの子としてハールレムに生まれる。高名な画家であった叔父のサロモン・ファン・ロイスダールとコルネリス・フロームから大きな影響をうけたヤーコブは、1646年頃画家として独立したらしく、1648年にハールレムの画家組合に加入している。1650年代前半にはオランダとドイツの国境地方を旅し、この頃からパノラマ、森林、砂丘、田舎道、河川、嵐、冬景色、滝などあらゆる風景画のカテゴリーに取り組むようになる。1656年アムステルダムに移る。ヤーコブは変幻する空・水・大地のありさまを観察・描写し、モニュメンタリティを増した画面からは、しばしば荒涼感が漂うようになる。多作な風景画家であった彼は、600点以上の絵画をのこしている。18世紀以降も評価が下降することのなかったヤーコブの作品は、ヨーロッパの名高いコレクションに相次いで収蔵され、初期のゲインズパラやバルビゾン派にも大きな影響を与えることになった。 |
小屋と木立のある田舎道 1670年代 |
田舎道は、森林、海浜、河川、砂丘、滝などとともに、ヤーコブ・ファン・ロイスダールがしばしば取り上げた主題であった。その一例であるこの晩年作の特徴は、ヤーコブが彼自身のパノラマ的景観から広大な空を引出し、スケール・ダウンした小屋や木立を中景に配列したことであろう。開け放たれた前景の後方に立ち並ぶ木立は、蛇行する小道を辿って行き着く風車のある地平線と呼応し、無限の距離をつくりだしている。距離を表すこういった手法は、決して伝統的であったとは言い難く、画面の片側を斜面で対角線状に切り取ったピーテル・ブリューゲルやアダム・エルスハイマー、枠組みを利用して深々とした空間をつくりだしたクロード・ロランの手法とも異なっている。1650年代のヤーコブによって追及されたモニュメンタリティは、もはやまったく見て取れない。空の美しい青と対照的な地面の暗褐色は、黄金色に輝く丈高の木の葉群を浮き立たせると同時に、ヤーコブの抑制のきいた色使いの妙を伝えている。(K) |