ヘッダー(ロダン)
ロダン 鑑賞の手引き
AUGUSTE RODIN Guide book

 

地獄の門の人物たち
œuvres relatives à la Porte de I'Enfer

 

 《地獄の門》は、1880年にパリの装飾美術館の門扉として、3年の期限で依頼されたものである。しかし、ロダンはこの作品に後の生涯を捧げ、結局、1917年に亡くなるまでこの作品の制作を続けることとなった。
 ルネサンス芸術に深く共感していたロダンは、文学者ダンテの『神曲』や彫刻家ギベルティの《天国の門》に霊感を受けてみずからの《門》を創造したが、ギベルティのように、扉の面を分割して、それぞれに何らかの場面を描くという手法はとらなかった。本作は様々な人物像が複雑に入り組む劇的な大作となり、さらにはここからいくつかの単体像も生まれている。
《壷をもつカリアティード》


《パオロとフランチェスカ》

 《壺をもつカリアティード》は、《地獄の門》左柱柱頭のうずくまる女が独立発展した像である。「カリアティード」は、女性をかたどった柱のことで、古典建築にしばしば見ることができる。これはもともと、古代ギリシアのカリアという町が敵国に内通したため、カリアの女は重荷を負う罰を受けたという伝説が反映されているという。
 《パオロとフランチェスカ》は『神曲』に登場するモティーフで、政略結婚によって嫁入りしたラヴェンナの君主の娘フランチェスカが、夫の弟パオロと心を通わせ、フランチェスカの夫に二人とも殺されてしまうという物語である。二人は不義の罪のために地獄を漂っており、その様が《地獄の門》左扉下部に表されている。

 《バッカス祭》は、バッカス(ローマ神話の神で、ギリシアの酒神デュオニソスと同一とされる)を称える祝祭のことであり、西洋の伝統的なモティーフである。バッカス祭はつねに狂乱の宴として表される。ここでは、二人のバッカス信者の女性(バッカントと呼ばれる)が抱擁しあう様子が官能的に示されている。


《バッカス祭》

 《考える人》は、何を考えているのか。これは、多くの人々にとって興味ある疑問である。
ロダンは1880年、《地獄の門》の注文を受けてから、門の上に立って、足下に広がる、ダンテの『神曲』に記された地獄の悲劇を見つめる「ダンテ像」を門に組み込むことを考えていた。やがて、《考える人》は《地獄の門》から切り離され、《詩人》という名によって1888年、コペンハーゲンで初公開される。   
 岩の上に腰をかけ、両手両足に力を込め、全身の筋肉を緊張させて、地獄に落ちた人々の運命に思いをめぐらしながら、「考えること」にだけ集中している。《考える人》は、ロダン作品のなかで最も著名であり、身体の生命感を彫刻の本質としたロダン芸術を象徴するものである。
 原型は高さ63cm。《考える人》は人気を博したため、ロダンは高さ38cmのより小さい像を作っている。また、当館所蔵のものは、高さ183cmの拡大像であり、世界に21体ある。


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