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《館長随想》


吉岡 健二郎

 日本人は季節感を大切にする。以前はごく普通の家庭にも床の間があって、季節ごとに掛け物をとりかえるのが家事のひとつに組み込まれていた。最近では床の間のある家庭が少なくなり、きれいな色刷りのカレンダーが時候にふさわしい名画を提供して、月日の経過をそれとなく教えてくれる。季節の推移が肌で感じるものではなくなり、あたまで理解するものに変わってきたようである。

 くだものにしても、例えば苺は初夏のものだと思っていたが、需要の最盛期はクリスマス前だという。私などは、否応なく時代遅れの人間ということになるのだろう。ただしこれは日本の特殊現象のような感じもする。ヨーロッパの街では苺はやはり五月頃のくだものである。

 季節感を大事にするという点からすると、春季号に秋の典型的なくだものである柿の絵を掲載するのは、規則違反というか、場違いというか、その非常識を疑われかねないことになる。しかしその点は目をつむって、この柿の絵の渋い色合をみていただきたい。くろずんだ朱色の柿が、画面の左寄りに三個、右寄りに一個、あけびらしい濃い紫色の塊が少し顔をのぞかせ、それの蔓かと思われる螺旋が描かれている。比較的小さい作品ではあるが、須田自身にとっても会心の作だったのだろうと想像される。須田は1941 年(昭和16 年)、はじめて念願の画集を、弘文堂から出版するが、そこに収められた二十三枚の図版の内、色刷りはこの『柿』一枚だけなのである。あとは単色グラヴィアのみである。

 静岡県立美術館には須田の風景画のなかでも指折りの秀作『筆石村(しぐれ)』が収蔵されているが、『柿』の絵は『筆石村』と同年の作品であり、須田の画業のなかでも最も秀作の集中している時代の作品と言ってよいと思う。西洋の絵画が印象派以後、黒色を画面から排除し、ひたすら明るくなっていくのに逆行するかのように、須田は黒を用いる。それが画面に深々とした落ち着きと同時に、おさえた華やかさを生み出すもとにもなっている。須田の評価が没後、次第に高まっているのも、彼が西洋に学びつつ西洋のいかなる画家の真似でもない作品を描き続けたからだと思う。

(当館館長)

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