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研究ノート
展覧会にかかわる普及事業の一例
−社会との連携と美術館の社会的認知にむけて−
李 美那
 最近、美術館における教育普及事業について耳にする機会が増えているように思われる。学校週5日制の導入や、総合的学習の時間を使った教室外での体験学習の場としての要請、といった学校の二ーズに応えた学校と美術館との連携が、このような事業増加の理由のひとつに挙げられる。しかしより深刻なのは、地方美術館の増加と展覧会の増加によって展覧会の開催数も自然と増え、美術鑑賞がかつてよりは多少身近になっているはずなのに、観覧者のニーズの幅は広がっておらず、見ることの喜びを享受していると感じる人が少ないという根深いジレンマの存在と、その解決が求められていることであろう。

 「美術館は美術を見る喜びを伝えてきたか」「美術館は本当に必要とされているか」という疑問は、最近の美術館の最大課題である。ミュージアムマネージメントの側面からは「身近な美術館」というイメージが重要となり、この両側面の問題に対処するために「美術館活動の理解」が必要とされ、「より広い客層の獲得」を目指す道筋が見えてきて、その有効な手立てとして「参加」というキーワードが導かれ、美術館活動の広報戦略も担った教育普及活動が注目されているのが現状だ。現在の美術の動向を反映して、観覧者参加型の展覧会も増えており、展覧会そのものがひとつの参加型ワークショップとして成立している場合もある。更に、作品を前にしての、やさしくわかりやすい切り口を用意した学芸員によるギャラリートークなどの鑑賞プログラムが、積極的に行われている。これらは、美術館や展示室が「見せる」場所から「観覧者が主体的に見る」場所、つまり「参加」する場所というイメージヘの転換と見ることもできよう。

 筆者は、美術館は必要とされているかという疑問は、「美術館が未だ社会のなかで確実な位置を得るに至っていない」という根本問題に至ると考える。現在の教育音及活動は、幅広い多くの市民の参加を得ることでこの問題にアプローチしようとしている。観覧者確保と裾野の拡張の点からこの手法は全く必要であるが、参加している市民は幅広いぶん層の厚みに欠けるきらいがあり、参加の密度はあまり高いとはいえない。このことが、これらの試みを重ねてもなかなか効果が実感できない、つまり美術館への理解が浸透したとは実感しにくい理由のひとつだ。ここでは別の方法で美術館の存在を社会に明確にアピールしたプログラムを紹介したい。

 平成14年7月から9月にかけて開催した「今、ここにある風景=コレクション+アーティスト+あなた」展に付随して行った「ヒキダシタイ・プログラム」がそれである。「ヒキダシタイ・プログラム」には、観覧者の展覧会鑑賞教育プログラムとしての側面と、美術館の社会からの認知を推進する社会的普及プログラムとしての側面、この2つがある。ここでは特に、美術館を社会的に認知させる側面について説明したい。

 今回は、このプログラムと美術館を、美術館内で観覧者の鑑賞体験を充実させる手法と機会とのみ捉えるのではなく、社会が美術館の活動をバックアップし、協力者が美術館を通じて社会参加する場と捉えることで、美術館が社会活動の環の中に位置付けられるようにした。そのため、プログラムの要素を人的バックアップ、経済的バックアップ、チームメイキングの3つに分け、それぞれが社会活動の環の中に積極的に位置付けられるよう考えた。

 観覧者の鑑賞プログラムを作成し実施する、ヒキダシタイ・プログラムの実質的担い手となる人的バックアップは、地元の美術系学生たちの参加である。彼らは職能の異なる2チームから成り、片方は作家や美術館関係者を目指す教育を受けている静岡文化芸術大学・常葉学園大学の学生たちの混合チーム、他方は広告やグラフィックデザイナーを目指して実践的な教育を受けている静岡デザイン専門学校の学生チームである。大きくいえば同じ美術というフィールドにいても、彼らにとってお互いの存在も美術館もほぼ「関係ない」存在であった。それぞれにその職能を生かしたプログラムを実践する機会を提供し、美術館と展覧会は、(鑑賞者に働きかける場としてだけでなく)学生である彼らが直接的・積極的に社会に参加し、互いに刺激しあう「場」として機能した。更に、4人の展覧会出品作家と直接かかわり、あまり機会のない「年令の近い職業作家」の姿を目の当たりにする機会も提供した。
(激論の末実行された学生たちの実質的活動プロセスは、学生自身の執筆と編集による「ヒキダシタイ・プログラム活動報告書」の形でまとめられ、美術館から刊行される。特に鑑賞教育プログラムの側面についてはこの報告書を参照されたい。)

 メンバーは、キーパーソンとなる学生や各チームアドバイザーとなる先生に直接声を掛けて集めた。先生とは指導者というわけではなく、各チームの進行調整役が必要であったことと、学生の身近な人物をアドバイザーとして確保することで、双方ともにスムーズに仕事に集中できると考えたからである。展覧会直前と重なるプログラムの詰めの段階で筆者が参加できない場合など、チームアドバイザーの先生2人の存在が貴重な調整役として機能した。一般募集にしなかったのは、目的に対して強いエネルギーを持って同じ気持ちを共有して取り組むためである。キーパーソンに直接声をかけ、意識を共有した上で、キーパーソンからその友人を口説いていく形にした。結果として、キーパーソンは各人の興味ややる気と能力を見極めてチームが編制されていき、学生たちは個々人の能動的理由だけではなく、強い責任感とチーム意識を持ってプログラムを推進していった。内容もメンバー強化でチーム能力が増幅されるにしたがって広がって行った。興味のある人はどうぞ、という漠然とした募集方式にしていたら、同じ意識レベルを共有することに多大な時間がかかり、限られた時間で友の会や企業などの納得を得られるプログラム作成をするのは無理だったと思う。これは、中規模県である静岡という土地と人的ネットワークなどの事情によるところが大きく、どこでも有効な手段ではないが、今回は非常に有効に働いたと思う。

 経済的バックアッブは地元企業にお願いした。美術館友の会にはチームメイキングの役割を担っていただき、「ヒキダシタイ・プログラム」の共催者として、実施に必要な資金を地元企業から集めるための窓口を果たして頂いた。協力を依頼する企業まわりも筆者と友の会役員が同行した。県立美術館は公立館であるがゆえに自前の財布を持たず、特定企業から金銭的援助を受けることも難しい。公平性の保持には大切なことだが、地元の経済と社会を支える企業に直接接触し、美術館活動を理解してもらう説明の機会も同時に奪われていると言えなくもない。今回地元企業に参加を依頼してまわったのは、経済的目的だけではなく、地元有力企業の中心人物に美術館活動を直接説明する機会を得るという意味が非常に大きかった。結果的に協力不可であった企業ももちろんあるが、双方の姿勢を確かめ合う非常に貴重な機会を得、美術館の使命についての大切な助言を頂いたりもした。協力が成立した場合、企業は美術館を自社の社会的還元の窓口として認知、利用するわけで、各企業は自社の方針や社会的アピール効果などを考え合わせて協力の決定を下している。実際に企業まわりをしてみて、美術館活動の一部にこの経済活動を取り入れることは、美術館が社会の環の一つであることを自他ともに認めることなのだ、ということを強く思い知った。美術館友の会と美術館の関係も、双方の綿密な協力と役割分担で、友の会が単なる観覧者優遇策となるのではなく、双方にとって社会と美術館とを積極的につなぐ大きな役割を果たすことができる。

 出来上った鑑賞プログラムに最終的に参加する観覧者は同時に、これらの社会的認知プログラムを見届ける役割を果たし、美術館の社会参加を確認する。観覧者のプログラムヘの参加は広く薄くになるのだが、逆に幅広い市民に美術館の社会参加をアピールでき、美術館は社会活動の環にしっかりと認知されることになるのだ。美術館が与えるプログラムに幅広い参加者が一過性の参加として享受するだけではなく、社会に積極的に関わるコアを持った「社会的認知プログラム」を進めることは、今後の美術館活動の根幹に資するところが大きいのではないかと考える。
(元当館学芸員)

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