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●研究ノート

田中孝《On The Table》
         《Breeze-2》について
村上 敬



田中孝《On the Table》 1981年
シルクスクリーン、紙 当館蔵

 はじめに
  本稿では、静岡県立美術館所蔵の田中孝作品《Breeze-2》(表紙図版参照)《On The Table》(図)について、その作品構造を考察する。結論は以下のとおりである。

当館所蔵の田中孝作品は「静謐で非現実的な世界へ観者をいざなう」ことを表現の目標としており、「版の持つ間接性」と「禁欲的な色彩処理」を利用してそれを達成しようとしている。

作者について
  田中孝は、1948年に大津市で生まれた。京都市立芸術大学で版画を学び、1975年に西洋画専攻科を修了している。この頃、日本の美術界では版画ブームが起きており、それを受けて同大学からも一群の若手版画家が輩出した。大学でともに学んでいた田中、木村秀樹、安東奈々らは、以後もゆるやかにつながりを保ちつつ個々の活動を展開することになる。
  田中は「写真製版によるシルクスクリーン」という、いわば1970年代の時代様式ともいえるような技法でスタートしており、在学中から関西の画廊で個展を開催した。ごく初期には、鏡を用いただまし絵的な作品を発表している(たとえば、短いベンチの模型をつくり、鏡に接するように置く。それを写真に撮ると、あたかもふつうの大きさのベンチが写っているように見える。手狭な飲食店などで時に使われる手法である)。1977年、《TREE》で第一回日本現代版画大賞展優秀賞を受賞。この頃には鏡などを用いた表現は影をひそめ、ミニチュアをそのまま撮影して版画化している。《TREE》も、樹木の模型を作って撮影したものを版画にしている。評論家の高橋亨は、この作品を「ミニチュアによるセット撮影だからトリックはトリックなのだが、いわば仕掛けのないトリック」だと評している(「美術手帖」1977年7月)。
  その後、1980年代の一時期銅版画に取り組んだが1990年代末にはふたたびシルクスクリーンに戻っている。田中は、比較的様式の変遷が大きくない、いわば一貫して自らの資質に忠実な仕事をしているというタイプの作家であるといえよう。

当館所蔵作について−作品の構造、表現目的
  当館所蔵の田中孝作品《Breeze-2》《On The Table》は、模型を作ってそれを写真に撮影し、そこから版を起こしてプリントするという技法を用いたもので、同じ様式に属する作品である。田中は自作について次のように語っている。
  「模型を作る。/小さな作業台にのせて、光を当てる。/カメラのフレームに写し撮る。/シルクの版にうつすこと。/模型というウソが、版を通して紙の上に刷られると、現実感を伴ったウソになる。ウソからでたマコトになる。その瞬間が、スリリングでおもしろいと思っている」(「版画館」No.20,1987年)
  さらに時代をさかのぼると、1970年代の田中作品を評した高橋亨の次のような評が目につく。
  「作者の画面は、現実感と白昼夢のような淡い夢幻感とを同時にただよわせているのが魅力的だが、それは写真の映像と版画との組み合わせのなかからうまれてくるようだ。写真が示す対象の映像については、なんとなくその現実を信じようとする傾向が、経験的に人にはある。また版画は表現における直接的ななまなましさをやわらげるので、虚構の作為性を緩和する。そうしたふたつの側面をふまえて、独特のニュアンスをもった版画操作を成功させているのがこれらの作品だといえないだろうか。」(「プリントアート」No.25,1976年)
  この高橋の評は初期作品の論評でありその点では的を射たものであるが、当館の作品が制作された時期になると、「写真が示す対象の映像については、なんとなくその現実を信じようとする傾向」という部分はあてはまらなくなっている。それをヒントに、当館所蔵作品について検討することができる。田中の初期作品は小さな模型で椅子やベッドを作って写真に撮り、それをさらにシルクスクリーンにしたものであった。これら家具というモチーフは人間との直接の接触によってある程度サイズが決定してくるものであり、その寸法の要件を満たしていないものは「模型」であるということになる。例を挙げれば、長さ10センチのベッドはベッドの模型ではあっても小さなベッドではない。したがって、それを撮影して作品化した場合、「模型をいかに現実のベッドらしく見せるか」というトリックの部分に興味が向かざるを得ない。
  一方、当館所蔵作品に登場するモチーフは、現実に対応物を持たない。《Breeze-2》に登場するモチーフは扇風機の精巧なミニチュアではなく、粘土アニメのようにデフォルメされた表現である。また、《On the Table》というタイトルは、作品世界が卓上で広げられる小宇宙であることをあらかじめことわってある。つまり、当館の作品は「その世界が現在していない/つまりフィクションである」ということを念頭において観ることが要請されているのである。しかし、このように現実らしく見せるトリックを排除したことによって、田中の作品が所帯じみた日常的な世界になったのかというとそうではない。むしろ逆で、日常と接続しえない純粋に作り上げられた世界として、観る物がそこに遊ぶことができるようになっているのであり、「日常と接続しえない」という部分において、田中の作品世界は「静謐さ」を身にまとうようになるのである。田中は、意識をしていたにせよしていなかったにせよ、そのためにトリックを排除したと考えることができる。

当館所蔵作について−技術的な特徴
  以上検討してきた田中作品の特徴をもたらす技術的側面として、筆者は冒頭に「版の持つ間接性」と「禁欲的な色彩処理」を挙げた。
  ここでもういちど、初期作品を論じた高橋発言のつぎの表現に注目しよう。「版画は表現における直接的ななまなましさをやわらげる」。この特徴は、版を用いた間接的表現であるという版画の本質から出てきている。この特徴によって、田中の版画世界は「日常と接続しえない」世界となり、「静謐さ」を獲得しているのである。これについては、田中孝の作品が模型を撮影した写真の段階でとどまっていれば、おそらくあまり魅力のないものになったのではないかと想像することで容易に理解できよう。そしてこのことは、「模型を撮影して現実のように思わせる」というコンセプトとはまったく違うところに作品の目標があることを示している。
  最後に、色彩処理に関して。実は田中は1990年代にはカラー写真を用いた作品を制作している。しかし、率直に言って筆者は、日常的なカラーが導入されたことにより、虚構の世界と現実との間に無用な通路が開いてしまった感覚を覚えさせられた。このことから逆説的に当館所蔵作のような色数を抑えたあり方が虚構性を作り上げるために有効であるという結論が浮かび上がってくる。
  以上、駆け足ではあるが、当館所蔵の田中作品について紹介した。版の間接性や写真とのかかわりについては1970年代に熱心に論じられたテーマである。また、現代の高度情報化社会の出現により、複製芸術と著作権の関連などが新しい文化の問題として浮上している。そのような論点に触れられないのは申し訳なく残念だが、以上で本稿を終わりにしたいと思う。


(当館学芸員)


 


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