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ポール・シニャック(1863-1935)

「サン=トロペ、グリモーの古城」
1899年 73.0×91.7cm
油彩、キャンバス


1891年のスーラの死は、
シニャックにとって大きな打撃でした。
失意のシニャックは、友人の勧めで南仏に移り、
制作のかたわら地中海をヨットで航海しました。
サン=トロペは、そのときに知った小さな漁港で、
彼は1913年頃までこの漁港を中心に活動しました。
この絵に描かれた眺めも、
サン=トロペ湾をその西側にある
グリモーの古城から見たものです。
中世の遺構である古城と丘の斜面をいろどる黄色、
ピンク、オレンジ色の暖色は、
群青や青紫の寒色と呼応し、
バランスのとれた構図に
色彩の輝きと調和を与えています。


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シニャックとはどんな画家?
ポール・シニャック(1863-1935)は、ジョルジュ・スーラ(1859-1891)と並んで、新印象主義を代表する画家で、小さな色点をキャンヴァスに並置する点描技法で知られています。彼は21歳のとき、スーラの徹底した点描技法に啓発され、スーラから受け継いだ新印象主義の技法と理論を追求したのでした。お喋りで社交的だった彼は、内気で人付き合いのへたなスーラとは対照的でしたが、スーラの苦手とした画家や批評家たちとの交流を引きうけるなど、両者は互いに補い合う関係にありました。また、新印象主義の目的や理論をまとめた「ドラクロワから新印象主義まで」(1899年)は、シニャックの重要な著作として知られています。
 

新印象主義とフランス絵画の流れ

19世紀後半から第一次世界大戦にかけて、フランスの絵画は大きく変化しました。スーラとシニャックを中心とする新印象主義は、点描技法を最大の特徴としていました。彼らの目的は、色彩に最大の輝きを与えることにあり、キャンヴァスに純粋な色点を並置するやり方は、それらの色点が見る人の網膜の上でほどよく混ざり調和するという「視覚混合」の理論に基づいていました。新印象主義の点描技法は、印象派の用いた小刻みなタッチをいっそう科学的に細分化したものでしたが、それは同時に、絵具を平塗りし輪郭線をしっかり描きこんだゴーギャンの技法と好対照をなしていました。また、色彩の魅力を存分に伝える点描技法は、20世紀初めのフォーヴィスム(野獣派)の成立にも大きな影響を与えました。1904年の夏、マティスやドランは、サン=トロペでシニャックとともに制作し語り合い、点描技法のさらなる可能性に気づいたのです。

 


作品収集の方針と特色

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