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式部 輝忠
SHIKIBU Terutada

15-16世紀(室町後期)

式部輝忠は、≪四季山水図屏風≫(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)、≪四季山水図屏風≫(静嘉堂文庫美術館蔵・重要文化財)、≪巌樹遊猿図屏風≫(京都国立博物館蔵・重要文化財)など非常に個性的な秀作を遺しているにもかかわらず、逸伝の画家として長い間その実像が謎に包まれていた。しかし近年の研究により、仲安真康(ちゅうあんしんこう)、祥啓(しょうけい)ら室町中期の鎌倉画派を学び、北朱長綱(早婁の三男)下の小田原狩野派との密接な係わりを通じて狩野元信様式をとりいれ、独自の様式を形成した関東の画家であリ、活躍期は16世紀の半ばを中心とするということが論証された。当館蔵の≪富士八景図≫は、その活躍期を知る指標となっている。また、「式部」なる絵師が駿府(現在の静岡市)で活動していたことをしめす当時の史料が紹介されており注目される。なお、かつてはその使用印が「龍杏」と誤読されたため、その名前で通称され、同印は江戸時代を通じ祥啓の使用印と考えられることが多く、その後も仲安真康や祥啓と混同された。式部輝忠という独立した画人として認識されるようになり、その輪郭がある程度明らかになったのは、近年のことである。


 
富士八景図(其一) 富士八景図(其二) 富士八景図(其三) 富士八景図(其四)
富士八景図(其五) 富士八景図(其六) 富士八景図(其七) 富士八景図(其八)
 

富士八景図

1530(享禄3)年頃
紙本墨画 掛幅装 八幅対 (各)97.5×32.8cm
昭和58年度購入

シリーズものの富士図といえば、葛飾北斎の富嶽三十六景がポピュラーだが、それより300年以上前になる現存最古の富士の連作が本作品である。8幅には、各図の内容に対応する賛文が書されている。それは、伊豆・芦の湖・駿河湾海上など富士を望む視点や季節、時刻などについて語るもので、「山色、紅碼碯(めのう)をのぶるがごとし」(夜来の音が晴れて、タ陽に映える時、山の色はまるで赤い碼碯のようだ)と、まるで北斎の赤富士を指すかのような語句もあって興味ぶかい。また第8幅賛文には、「世の中に八景の詩を作る者は多いけれども、この図のように一つの景を八つに分けたものはまだない。思うにこれは新しい着想であろう」という意の賛者(本作品の企画者)の自負が記されている。
画は、シンメトリカルな山形が8図くりかえし描かれ、極端なまでにパターン化しているが、山頂の積雪量や周辺の景色の簡略な水墨描による描き分けがみられ、視点と時刻によって様々に表情を変える富士の諸相が表出されている。また、遠浦帰帆(第2幅)、平沙落雁(第5幅)など瀟湘八景モチーフの名残りがみられることからも、本図の着想のもとを確認でき、先述の賛文と合わせ本図が実験的な意図で制作されたことがわかる。画風は他の作例と比してまだ個性が乏しく、式部輝忠早期の作と推察される。
賛を記した常庵龍崇(じょうあんりゅうすう)は京都建仁寺の第262世で、古今伝授で著名な歌学者東常縁(とうのつねより)を父とする。その没年は天文5午(1536)、本図はそれ以前の作ということになるが、龍崇は享禄3年(1530)から同4年にかけて一時、駿府に下向したと考えられており、本図の制作とこの時期は関係がありそうである。(Yy)                           


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