1884-1962(明治17-昭和37)
山梨県南巨摩(こま)郡に生まれる。本名浩(こう)。号土筆居・画蟲斎。 |
東山粟田口 1925(大正14)年 |
「私は洋画から出発して日本画になった一人だが、さてどういう動機で転向したと訊かれれば、別に何かに感激して心機一転したというような間題があるわけではない。いわば極めて微妙な心境の変化でそれが自分にとっては自然な経路だったというより外はないのである。」と、浩一路は自らの画家としての道のりを語っている。(「水墨余滴」『塔影』16巻6号 1940・昭和15年6月)しかしこのような経緯で出発した日本画とは、浩一路にとって、伝統的な画法に則って描くものではなく、何よりも自らの資質にあった、又自らの感覚に忠実な表現の世界を意味していた。 |