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初期狩野派
Early Kano school

16世紀(室町時代末期)


 
四季花鳥図屏風(左隻) 四季花鳥図屏風(右隻
 

四季花鳥図屏風

16世紀中期(室町末期)
紙本着色 六曲一双屏風 (各)138.5×269.4cm
昭和61年度購入

堅牢(けんろう)な岩、ほとばしる渓流、種々の樹木や花木、広闊(こうかつ)な水面、遠く広がる連山によって構成された大観的な山水景観のなかに、鶴や小鳥・水鳥たちが憩うさまを描く。本図は、画中の数多くの花烏を除去したと仮定しても充分に山水図屏風として成立するが、こうした花鳥山水図屏風とも呼ぶぺき作例は類例がなく、この点で特異な存在となっている。
各隻に「元信」壷印が捺されているが、同印は狩野元信だけでなく門人たちも用いており元信直筆とはいえない。安定した構図や岩皺・樹法などは、初期狩野派特有のもので、元信とその門人たちによる京都霊雲院方丈画(天文12年・1543)や、それよりわずかに後の《浅絳(せんごう)山水図》(霊雲院蔵)との近似により、本図の筆者は狩野元信(1476-1559)傘下の画家と推定され、制作期は永禄年間(1558-70)初年頃と考えられている。また山水を基調とする画面構成の点では、霊雲院方丈画と狩野永徳(1543-90)か指導した聚光院方丈画(永禄9年・1566)の展開の中間に位置づけられている(武田恒夫「大画面構成にみる山水構成の特例について一初期狩野派の場合一」国華1086号)。一方、花鳥画としてみるとき本図は、対象が近按拡大してゆく展開過程に逆行しており、またある種の古様さをも有している。しかし永徳・光信の画風を予告するような表現もみられ、筆者を元信風の形骸化の流れに抗して新しい表現を模索する才能ある若い画家とし、元信様式学習期における永徳と想定する意見(辻惟雄「呂健筆崑崙松鶴図解説」美術史論4 東京大学文学部美術史研究室)もある。
不明な点の多い室町・桃山期の過渡期において、こうしたさまざまな重要な間題を投げかけるすぐれた作例として本屏風の意義は大きいといえよう。(Yy)                           


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