1776-1853(安永5-嘉永6)
神洲奇観 1843(天保14)頃 |
竹洞は名古屋の医家に生まれ、江戸後期に京都で活躍した文人画家。頼山陽ら一流の文化人と交流。山水図や四君子などの画題を好み、中国画を規範としながら高雅な作風を確立した。本作は、尾張南画の祖・丹羽嘉言が明和7(1770)年に富士を現地写生して描いた《神洲奇観》の影響下に生まれた作品で、竹洞は同類の作品を何点かのこしている。そのみずみずしい筆致は水彩画を思わせ、近代的な香りをただよわす。 小品ながら気品にあふれた富士図である。 |