1714-1782
ウェールズのペネゴーズに生まれる。1729年からロンドンに出て、1750年まで肖像画家として活躍。1750年ヴェネッィア経由でローマに赴き、クロード‐ジョゼフ・ヴェルネの助言に従い、風景画家に転じたといわれる。イタリアには7年間滞在し、クロード・ロラン、ガスパール・デュゲ、ヤン・フランス・ファン・ブレーメンの風景画を学ぶ一方で、ローマ内外の史跡やティヴォリの風景のスケッチを制作。古典的風景画の伝統と地誌的表現の組み合わせは、円熟期のウィルソン作品の特徴である。 1757年に帰国した後も、留学先で蓄積した風景習作に基づき、イタリア風景を描き続けた。1760年に≪ニオベの子供たちの殺害≫を第一回芸術家協会展に出品。その後、田舎の貴族の邸宅や、イングランドやウェールズの景勝地を主題として取り上げ、晩年の作品には、アルベルト・カイプをはじめとする17世紀オランダ絵画の影響が見られる。1768年にはロイヤル・アカデミーの創設会員となり、貴族たちからの注文も受けたが、1770年代中頃から経済的に困窮し、アルコール中毒にも陥った。ロイヤル・アカデミーでは司書という名目だけの職を得ていたが、1781年にウェールズの家族のもとに退き、まもなく他界。ウィルソンの作品は長い間理解されなかったが、19世紀に入って再評価され、今日ではターナーやコンスタブルの世代に大きな影響を与えた、最初の偉大なイギリス風景画家とみなされている。 |
リン・ナントルからスノードンを望む 1765-67年頃 |
本作はウェールズ北部にある、リン・ナントル湖の東端から西方を望んだ眺めである。画面の正面奥にはイ・ウィッドファと呼ばれるスノードンの山頂、その下方にはクログウィン・イ・ガレグという名の小山が見え、中景左方にはミニッド・モアーの斜面、右方には尖った頂をもつ山並みが続いている。画面下方の澄み渡ったリン・ナントルの湖面は、これらの山並みをくっきりと映し出し、構図に対称性を与えている。英国最高の自然景といわれたこの眺めは、明確に整えられた構図とウィルソン特有の蒼白い光によって、壮大と静謐を獲得している。 |