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ジョアン・ミロ
Joan MIRO

1893-1983

スペイン、バルレセロナに生まれる。実業学校の後、1907年、ラ・リョンハ(聖ルカ)美術学校に入学、教師ホセ・パスコから目を閉じて物を触り、その触感からデッサンすることを教わる。1910年に両親の希望で商社に勤務したが、神経衰弱を患った結果、画家になることを許された。1912年私立ガリ美術学校に入学。1915年頃からフォーヴに影響を受けながらもカタロニアの風土性を強く残した肖像画や風景画を描きはじめる(カタロニア的フォーヴィスム)。この時期のミロはバルセロナの地にありながら、セザンヌ、ゴッホ、マティスらに影響を受け、キュビスムに接近していた。1919年パリを訪れ、ピカソと交友を結ぶ。この後の20年間は、パリとバルセロナを行き来しながら制作。1922年≪農場≫、23年≪耕地≫で転機を見出し、24年にはアンドレ・ブルトンらと知り合い、シュルレアリスム宣言にも名を連ねた。1930年以降にはオブジェやコラージュも試み、象形文字的形象を用いた、幼児的天真爛漫と技術の結びついた詩的絵画で知られる。その後、第二次大戦の戦乱を避けて南フランスから郷里のバルセロナ、マリョルカ島パルマへと居を移し、同地で没した。戦後は彫刻、陶器、版画なども幅広く制作したが、作品は依然として故郷カタロニアとの強い結びつきを保っていた。ミロの芸術は、独自の文化を持った故郷に深く根差しているが、単なる地方性にとどまらず、普遍的な価値を得ていることが特徴である。


シウラナの教会

1917年
油彩,キャンヴァス 46.3×55.1cm
平成6年度購入

ミロは、1915年にバルセロナのガリ美術学校を修了したのち、初めてのアトリエを共同で借り、画家となることを意識して作品の制作を始めた。
1915年から17年までのミロの様式は、カタロニア的フォーヴィスムと呼ばれている。当時ミロが住んでいたバルセロナには、フォーヴィスム、キュビスムなど、パリの芸術動向の情報がかなり届いていた。この時期のミロの色彩や描法は、これらの、特にフォーヴィスムの影響を反映しているが、スペインの外に出たことのないミロの「フォーヴ」は、パリのそれとは同質のものではなく、カタロニア的抒情によって再解釈されている。当時ミロは、静物画、肖像画と並んで、故郷バルセロナ周辺の風景を多く描いている。それらの風景画は、主として、モンロチ、カンブリルス、シウラナ、プラデスの、4つの田舎の村やその周辺で描かれた。本作の舞台となったシウラナは、バルセロナとヴァレンシアの中間に位置する山地である。
外界を力強い筆触で強調されたリズミカルな輪郭線と、強烈な色彩で主観的にとらえた本作には、フォーヴィスムやキュビスムなどの影響だけでなく、カタロニアのロマネスク壁画との関係も指摘される。(Is)


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