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ファン・グリス
Juan Gris

1887-1927

スペインのマドリードに生まれる。本名はホセ・ヴィクトリヤーノ・ゴンザレス。マドリード美術工芸学校に学ぶ。1906年パリに出てバトー・ラヴォワールのピカソのアトリエの隣に住む。雑誌に挿絵を寄稿したりするが、1910年頃から真剣に絵画制作に取り組む。ちょうどブラックとピカソが分析的キュビスム探究の段階にさしかかった時期である。1912年、彼らに続くように絵画の中に鏡を組み込んだコラージュ作品を発表した。同年、キュビスムの画家としてアンデパンダン展や黄金分割展に出品、画商カーン・ワイラーに注目され、彼と契約を結ぶ。1913年、ブラックやピカソとほぼ同時に綜合的キュビスムに移行し、多様な色彩やマチエールを駆使して、現実性の断片を取り入れた画面を作る。1914年コリウールに移り、アンリ・マティスと交流する。一貫して黄金分割に基づく数学的素描を重視しているが、1916年頃から堅固な建築的構図が顕著になる。1919年、一連の《アルルカン》を制作、人物モチーフに取り組む。1921年、エスプリ・ヌーヴォー誌上に自己の絵画制作に関する『個人的所説』を発表。1922年以降は、ディアギレフの舞台の装置と衣裳のデザインにも携わる。1924年ソルボンヌ大学で『絵画の可能性について』を講演。1927年尿毒症のため40才でブーローニュ・シュル・セーヌに没する。


果物皿と新聞

1918年
油彩、キャンヴァス 92.0×65.0cm
昭和57年度購入

対象の形態分割にそくして明度差のある色彩を隣り合わせに配し、各部を反転させる。その操作によってそれぞれの物体の存在感と配置の結束感が強調されている。例えばテーブルの足は、3色に塗り分けられた正方形に近い台形の面で表され、支えとしての堅固さを持つ。また、直線に還元された木目と、新聞(JOURNAL)文字はテーブルの面を示し、そこに横たえられたパイプは茶色と黒の反転で示される。ピカソ、ブラックが茶色系統の色を用いて禁欲的に形態分析をしていたのとは異なり、グリスは緊密な画面構築のためにむしろ進んで色彩を使った。中央で、果物皿は白を基調に新聞紙の黒と反発しあい、そのまわりを主調となっているブルーグレイ、それを補う赤茶色が空気にも似て取り囲む。さらに対角線の方向にクロスして配置された黒と黄色が対象とカンヴァスの輪郭線との仲をとりもっている。グリスの「セザンヌは罎を円筒に変えたが、私は円筒からひとつの罎を作る。セザンヌは建築を志向し、私はそこから出発する。」(1921年)という言葉には、知性的な絵画制作を梃にして現実を掴もうとする画家の世界観が感じ取れる。(Ym)                               


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