1932(昭和7)-
名古屋市に生まれる。1956(昭和31)年東京芸術大学日本画専攻を卒業。1958(昭和33)年渡米してニューヨークに定住。1961、62(昭和36、37)年のグリーン・ギャラリーでの個展を皮切りに、以後アメリカ、ヨーロッパ、日本等の画廊で発表を続ける。ミニマルアート、モノクローム絵画、幾何学的抽象絵画などの文脈で評価されてきた。 初期作品では、水平・垂直方向の銀箔の帯が特徴的である。顔料や箔の使用は日本画のテクニックによるものと考えられる。1961(昭和36)年から、矩形キャンヴァスによる一様な色面が複数個並置される。1965(昭和40)年より、並べたキャンヴァスの境や縁に細長いクロム金属が配され、作品はクールな相を呈する。1970(昭和45)年からはメタリックのアクリル絵具が使われる。1980(昭和55)年前後から厚みを持ったハニカムボードと和紙が支持体となり、三角形のフォーマットが登場。画面も荒いマチエール造りが目立ち、重量感を帯びる。1984(昭和59)年−1985(昭和60)年には、異なる色彩のボード群が重ねられ、縦横斜めにあるいは屏風状に組み合わされたりする。85年にはまた、北九州市立美術館でそれまでの約4半世紀の画業の回顧展が開かれた。 |
無題(黒) 1961(昭和36)年 |
アクリル溶剤でといた顔料の黒を一様に塗った、ほぼ正方形のフォーマットが横に2つ並置されている。額装はされておらず、カンヴァスの側面が、表面より少し薄い黒で塗られているのみである。表面の黒は艶がなく、画面全体に渡って、秩序をもって微かに横に走っている顔料の盛り上がりが唯一の綾である。全体が横長のフォーマット、水平方向の塗の綾、これら絵画として成立し得る最小限の要素を分割しているのは、2つの平面が隣り合った2辺の隙間であり、いうなれば無である。この無は、額縁のない両端にも存在し、そこもまた一枚の黒の平面が並べ置かれる可能性を有した無といえる。 |