1796-1875
パリの洋服店に生まれる。両親の意志により一度は服地商で修業するが適さず、幼い頃から得意としていた絵画制作の道に入る。画家になることを父親に認められ、当時のアカデミーの大家、ミシャロンのもとに弟子入りしたのは、26歳のときであった。ここで自然を注意深く観察し忠実に表現することを学び、コロー芸術の基礎を築いた。 |
メリ街道、ラ・フェルテ=ス=ジュアール付近 1862年 |
メリはパリの東方60キロほどのところにあるセーヌ・エ・マルヌ県の小村である。コローは1862年以来、何度かここで制作している。本作が発表された1863年は、厳しすぎるサロン審査への抗議が強まり、これに対応して落選者展が開催された年にあたる。コローはこのときの厳しい審査にも関わらず、本作と合わせ、サロンに2点出品している。それでも小品であることから、審査員からは習作とみなされ、必ずしもよい評価を受けなかった。しかし一般の美術愛好家には好まれ、購入の申し出が重なったため、コローは本作と同構図の作品をもう1点制作している。 街道沿いの家や樹木、道を歩く人物に見られる秩序立って落ち着いた構成は、コローの初期風景画の特徴である。一方、風に揺れる銀灰色の落群は、詩情豊かな風景画として人気を博することになる後期の風景表現を窺わせる。光や大気のうつろいを巧みに捉え、農村の日常生活を描いた本作のような風景画は、バルビゾン派からさらに印象派の画家たちに継承されていく。(Oj) |