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ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
Jean-Baptiste-Camille Corot

1796-1875

パリの洋服店に生まれる。両親の意志により一度は服地商で修業するが適さず、幼い頃から得意としていた絵画制作の道に入る。画家になることを父親に認められ、当時のアカデミーの大家、ミシャロンのもとに弟子入りしたのは、26歳のときであった。ここで自然を注意深く観察し忠実に表現することを学び、コロー芸術の基礎を築いた。
ミシャロンの死後、続いてベルタンのもとで学んだ。 彼はイル・ド・フランスの自然現象の微妙な変化を巧みに捉え、光や空気、葉群などに優れた表現を見せていたが、1826年、1年間のイタリア滞在から帰ると、そこに明瞭な構成力が加わった。1827年に初めてサロンに入選してからは、作品がフランス政府の買い上げになるなど成功の道を歩んだ。しばしばニンフや田舎娘たちの姿が描きこまれる、銀灰色と緑の調和した森や水辺の風景は詩情に溢れ、当時の美術愛好家たちの間で特に人気を博した。バルビゾン派の画家をはじめ多くの若い画家たちに敬慕され、19世紀の自然主義、写実主義、印象派の流れの中に大きく位置づけられる。


メリ街道、ラ・フェルテ・ス・ジュアール付近

メリ街道、ラ・フェルテ=ス=ジュアール付近

1862年
油彩、板  40.5×54.0cm
昭和60年度購入

メリはパリの東方60キロほどのところにあるセーヌ・エ・マルヌ県の小村である。コローは1862年以来、何度かここで制作している。本作が発表された1863年は、厳しすぎるサロン審査への抗議が強まり、これに対応して落選者展が開催された年にあたる。コローはこのときの厳しい審査にも関わらず、本作と合わせ、サロンに2点出品している。それでも小品であることから、審査員からは習作とみなされ、必ずしもよい評価を受けなかった。しかし一般の美術愛好家には好まれ、購入の申し出が重なったため、コローは本作と同構図の作品をもう1点制作している。 街道沿いの家や樹木、道を歩く人物に見られる秩序立って落ち着いた構成は、コローの初期風景画の特徴である。一方、風に揺れる銀灰色の落群は、詩情豊かな風景画として人気を博することになる後期の風景表現を窺わせる。光や大気のうつろいを巧みに捉え、農村の日常生活を描いた本作のような風景画は、バルビゾン派からさらに印象派の画家たちに継承されていく。(Oj)                          


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