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ユベール・ロベール
Hubert ROBERT

l733-1808

「廃墟のロベール」の異名で知られた18世紀フランスの風景画家。パリに生まれ、M.スロッツのもとで絵画を学んだらしく、1754年ヴァティカン駐在のフランス大使となったスタンヴィル公(のちのショワズール公)の随貝としてローマを訪れ、以後1765年まで同地に滞在。この間フランス・アカデミーに籍をおき、1756年から61年にかけてやはりローマに学んだ画家J.H.フラゴナールと知り合い、一緒にイタリア各地を旅行する。パンニーニやピラネージの廃墟のある景観図から影響を受け、古代遺跡、庭園、噴水などに風俗画的人物を描きこみ、自己の絵画の基礎を築いた。帰国後まもなく、王立アカデミーの会員に選出され、パリの有力なコレクターたちの間で人気を高め、大邸宅や公共建築の装飾も依頼されている。1784年以降、王室コレクションの菅理者としてルーヴル宮人リし、フランス革命のときには投獄されている。建築を縮小させる遠近法、計算された空間構成、色彩の巧みな転調は、ロベールの非凡な才能をよく示すとともに、その作品をたんなる廃墟図を超えた、完成度の高い芸術へとおしあげている。パリで没。


ユピテル神殿、ナポリ近郊ポッヅオーロ

ユピテル神殿、ナポリ近郊ポッヅオーロ

1761年
油彩,板 39.1×43.8cm
昭和61年度購入

「廃墟の画家」の異名をとったロベールは、荒廃した古代遺跡の建築や彫刻にひときわ強い共感を示した。その共感は、1754年以降11年にわたるローマ滞在中に、着実な高まりを見せていた。ローマ時代に繁栄した港町で、ナポリ湾北岸に位置するポッヅオーロには、古代遺跡が散在するが、ロベールはこの町を1761年に画友フラゴナールとサン=ノン師とともに訪れている。天上に君臨した神ユピテルに捧げられた神殿を、奥へと収斂させる透視図法、褐色から青灰色への色彩の転調、交互にのびる光と影の帯一これらはいずれもロベールの作品によく見られる表現手段である。軽妙な筆致で捉えられた当世風のいでたちの人物は、過き去った黄金時代への郷愁に浸っているようであり、どこかロマンティックな雰囲気がかもし出されている。本作に基づく同じ構図の銅版画が、サン=ノン師によって残されている。(K)


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