ヘッダー
烏海 青児
CHOKAI Seiji

1902-1972(明治35-昭和47)

神奈川県平塚市に生まれる。本名正夫。関西大学在学中より春陽会展に出品、1924(大正13)年横堀角次郎、三岸好太郎らと麗人社を結成する。1927年(昭和2)年関大経済学部卒。翌1928(昭和3)年および1929(昭和4)年、春陽会賞を受賞。1930-33(昭和5‐8)年渡欧し、アルジェリアやスペインの風土に感銘、とりわけドラクロワ、ゴヤ、レンブラントに親しんだ。帰国した1933(昭和8)年、滞欧作23点を出品し春陽会会員に推される。1943(昭和18)年、同会を退いて独立美術協会会員となる。1956(昭和31)年第6回芸術選奨文部大臣賞受賞。1958(昭和33)年、第3回現代日本美術展出品の≪武装した烏(ピカドール)≫で最優秀賞、翌年山口薫とともに第10回毎日美術賞を受賞した。東京にて没する。---作者の画業における課題は、日本の風土性を油彩によって実感的に表現することにあったが、一方彼は「はたして日本の自然が油絵の素材として生かされ得るものか」という懐疑も失わなかった。東洋の美術にも造詣の深かった彼は、厚塗りのマチエールとくすんだ色調を駆使し、対象の物質感を生かした抽象的なフォルム構成によって、日本固有の風土性をあくなく精神化することに努めた。故郷の平塚市美術館に作品多数が収蔵されている。


壁の修理

1959(昭和34)年頃
油彩,キャンヴァス 79.5×116.0cm
昭和62年度購入 

1958(昭和33)年6月、作者は三度目のヨーロッパ旅行を中断して沖縄へ行き、暫く絶えていた風景画の恰好のモティーフを得た。「沖縄は、気候の関係か、建物に、石が多いのです。民家の壁に亀裂が入ってそれが修理してあるのが、とても面白く、それだけで立派なモティーフになります。そのまま、ひとつのアブストラクトなのです。色は、ぼくの感じた色。これは、みたとたんきまってしまうのです。」(『芸術新潮』1959・昭和34年9月)
沖縄の家並を描いた二、三ある同種の作品のうち、本作は抽象的な完成度が最も高く、厚く塗りこめられた色面は、さながら壁を修理する職人が即物的に実感したであろう、量感と物質感に溢れている。それは「みたとたん」、触れたとたんに「きまってしまう」、日本流の直観的・情緒的な対象把握の美しい証例であるとともに、装飾的な構成とくすんだ色調を促す、底の深い精神性にも結びつく。本作の20余年も前に作者は、「一体日本に、油絵風景画が発達し得るものか。はたして日本の自然が油絵の素材として生かされ得るものか」と懐疑した。この作品は、後年の作者が日本固有の風土性をあくなく精神化することによって、それを油彩の素材となすにいたった苦闘を証すものである。(S)


張家口

1939(昭和41)
41.0×53.0cm
キャンヴァス、油彩
平成14年度購入  

暗く重々しい画面、一見すると近寄りがたい作品と思われるが、よく観るとどこか味わいがある。鳥海は一つの作品を描くのに数ヶ月以上もかけることが多かったという。下地に明るい絵具を塗り、その上に暗い絵具を少しずつ塗り重ねていく。ざらついた表面は色彩と一体となり、大地のもつ深い色合いを引き出している。張家口は、中国河北省にある町で、鳥海は昭和14年、初めてこの地を訪れた。


作品収集の方針と特色

主な収蔵品 作家名リスト 新収蔵品

TOP MENU

ロゴマーク Copyright (c) 2003 Shizuoka Prefectural Museum of Art
禁無断転載・複写