ヘッダー
中里 斉
NAKAZATO Hitoshi

1936(昭和11)−

東京に生まれる。1960(昭和35)年、多摩美術大学絵画部油彩科卒業、北海タイムスに美術記者として入る。1962(昭和37)年−1966(昭和41)年、ウィスコンシン大学で絵画と版画を、ペンシルヴェニア大学美術大学院でイタリアの作家ピエロ・ドラツィオに師事し、絵画を学ぶ。1967(昭和42)年までニューヨークで制作。翌年、ヨーロッパ、中近東を旅行して帰国。1971(昭和47)年再び渡米し、ニューヨークに居住。主としてアクリル絵具を使って制作を続けている。60年代には、色のついた線的パターンの配列の可能性を追求、グリッドのシステムに即した基本型の向きと彩色が生み出す変化を丹念に探っていった《ペンシルヴァニア・シリーズ》が代表的である。70年代には、日本の伝統的な大工道具である墨壷を運用して、墨を浸した糸を用いてキャンヴァス上に直線を引く仕事をする。線は面を導き、そのうち、何色かの柔らかな色面の構成が現れてくる。彼の面分割の根本には常にグリッドのシステムが横たわっている。80年代半ばから徐々に、制作途中の画面上で起こる予期せぬ事を大切に扱い、塗り重ねなどが取り入れられる。1987(昭和62)年に発表された作品群には独特の「コンパニオン・ピース」が付随しており、簡素な英語の文字と面分割の線で、基礎的な構造を示している。


Coe−Arezzo 71

Coe−Arezzo 71

1985(昭和60)年
アクリル、キャンヴァス 214.0×346.0cm
昭和62年度購入

黄色の細い線で区割りをされたキャンヴァスが、横に2枚組み合わされる。オレンジの塗りは黄色の境界線をかいくぐって、黄色に塗られた区画を少し浸蝕する。黒の塗りは、黄色の細い線に触れないように少し控えて区画内に収まっているが、右のカンヴァス上部では、黄色の区画と直に接している。異なる色の接する領域は、ごく慎重に扱われている。一つのキャンヴァスにつき縦横5等分が画面分割の基準になり、水平が支配的なその静かな比は和室の平面図の畳の区画を連想させる。
カラー・フィールド・ペインティングの潮流の中で、色のついた区画の線は中里独自のものといってよいだろう。
軽快に分割された画面に、ラテン系の言葉でタイトルが付けられ、全体として音楽のリズムのようなものが生まれている。タイトルには制作過程で出会った単語が使われるということだが、Coeとはスペイン(?)のある地名で、日本語の「声」に似た響きがあり、作者をひきつけた。さらに、作者がイタリアのルート71(71号線)をドライヴした際のArezzo(アレッツォ)の印象が加わっている。(Ym)


作品収集の方針と特色

主な収蔵品 作家名リスト 新収蔵品
TOP MENU

ロゴマーク Copyright (c) 1997-1999 Shizuoka Prefectural Museum of Art
禁無断転載・複写