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ヨーハン・バルトールト・ヨンキント
Johan Barthold Jongkind

1819-1891

オランダ東部の町ラロトップに生まれ、ロッテルダム近郊のフラールジンゲン・マースルイスで育つ。父親が船舶からの物品税収税官であったことから、幼いときから海や船に親しんでいた。1835年からハーグに住むアンドレアス・スヘルフハフトに師事し、デッサンと戸外制作についての基礎教育を受ける。1846年にパリにあるイザベイのアトリエで制作するようになってからは、活動の拠点をフランスに置く。1848年にパリのサロンに初入選を果たし、外光を巧みに表現する風景画家として注目を集め、多くの画家や批評家と親交を結ぶ。その中にはテオドール・ルソーなどバルビゾン派の画家やボードレール、ゾラも含まれていた。また、1860年代にはブーダンを通じてモネと出会い、戸外制作について直接指導を行なったことが知られている。ヨンキントは青年期に学びとった的確なデッサン力や構図法、ハーグ派などのオランダ風景画の伝統に、戸外制作から生じる明るい色調と自由な筆触を統合させ、独自の緻密さをもった作風を作りだし、印象派の先駆者と位置づけられている。


オンフルール近郊の街道

オンフルール近郊の街道

1866年
油彩、キャンヴァス 58.4×78.4cm
昭和63年度購入

1855年から5年間にわたるオランダ滞在は、ヨンキントにフランスへの強い執着を意識させる結果となった。彼はオランダ風景画の伝統を根底にもちながら、革新的な同行を示す同時代のフランス絵画に引き寄せられていたといえるだろう。1860年代は印象派にとって、その芸術の確立期にあたる。ヨンキントはバルビゾン派の画家たち、ブーダン、モネなど印象派の形成に重要な役割を果たした画家たちと、この時期頻繁に交流している。彼らは、本作に描かれているオンフルールやル・アーブル、サンタドレス、トルーヴィルなどに集まり、外光の下で画架を並べ制作した。その中で伝統的な構図法や戸外制作の技術に通じていたヨンキントは、常に指導的な役割を果たしていた。モネはヨンキントについて「真の師」と呼ぶことをはばからなかった。
セーヌ河畔の港町オンフルールに通じる街道を描いた本作では、後の印象派のような大胆さは表われていないものの、軽快な運びで積み重ねるように置かれた筆触が透明感のある色調と調和し、明るい光や大気、葉群のざわめきを巧みに表現している。彼は制作地を印象派と共有し、光を強く意識した技法の点においても印象派の先駆けとなったといえる。(Oj)


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