1776-1837
イギリスのサフォーク州イースト・パーグホルトに生まれる。1795年にロンドンに出て、ジョゼフ・ファリントン、J.T.スミスのもとで働き、99年にロイヤル・アカデミーの美術学校に入学。1802年とその翌年、ロイヤル・アカデミーに出品し、ベンジャミン・ウエストの助力と指導を受ける一方、この頃から戸外で油彩のスケッチを行うようになった。コンスタブルは、クロード・ロラン、プッサン、ロイスダール、ゲインズバラ、ウィルソンなどの影響を受け、さまざまな伝統を学んだが、戸外でのスケッチの成果を生かし、特に空の描写を風景画の主調音とすべきだとの主張に基づき、生き生きとした陽光の変化や風による雲の動きのある写実的な風景画を描いた。架空の風景を構成するよりも、むしろ郷里や1819年に移り住んだハムステッドなど、自分にとって馴染みのある風景を思い入れを込めて描いた。1819年ロイヤル・アカデミー準会貝、29年正会員となる。1821年≪乾草車≫をロイヤル・アカデミーに出品、24年にはこれがフランスのサロンに出品されて金賞を獲得し、ドラクロワをはじめとするロマン主義者たちの賞賛を得た。戸外での制作という手法は、イギリスよりもフランスで受け入れられ、印象派によって一般的になった。ロンドンで没。 |
ハムステッド・ヒースの木立、日没 1821年 |
1816年に父親の遺産を相続し、さらに富裕な妻と結婚したことにより、コンスタブルは経済的安定を獲得した。1819年、コンスタブルは、二人目の子供を身篭った妻と虚弱な長男の体を気遣い、空気の良いロンドン郊外のハムステッドに移り住んだ。ハムステッドの風景に魅了された彼は、以後しばしば同地の風景を描いた。 |