1746-1828
アラゴン地方フエンテ・デ・トドスという一寒村の金工の家に生まれる。画家としての修業時代はサラゴサの学校に始まり、マドリードさらにイタリアにおいて技術を習得し、徐々に教会の室内装飾などの注文を受けるようになった。1774年にはサラゴサ時代からの友人で、画家のフランシスコ・バイエウを通じ、当時宮廷画家として権威をもっていたラファエル・メングスに認められ、王立タピスリー工場のための下絵作家として活躍する。貴族社会に認められるようになったゴヤは、カルロス四世の即位とともに宮廷画家に任ぜられ、その後アカデミー絵画部長や首席宮廷画家の地位を得、国王をはじめ貴族の肖像を数多く描くことになった。 |
妄 1815-24年 |
《妄》はゴヤによる四大連作版画集のうちの一つで、前に制作された連作版画《気まぐれ》との直接的な関連が指摘されている。しかし《気まぐれ》では、画家自身が付けた各作品の題名や順番から内容が説明されやすいのとは異なり、《妄》の場合は手がかりとなるものが少なく、ゴヤの死後、さまざまな解釈を呼んでいる。 |