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レンブラント・ファン・レイン
REMBRANDT van Rijn

1606-1669

製粉業者の子としてオランダのレイデンに生まれる。同地のラテン語学校を経てレイデン大学に学ぶが、1621年頃から親類のスワーネンブルフ、1624年にはアムステルダムのロマニスト、ラストマンに学び、翌年故郷で画家として独立、友人のリーフェンスとアトリエを共有した。1628年、へラルト・ダウを最初の弟子とする。1631年アムステルダムに出、翌年外科医組合のために≪トゥルプ博士の解剖学講義≫を描くなど、上流市民層の肖像画家として名声を博した。1634年、都市貴族の娘サスキアと結婚。劇的な明暗効果と動的なバロック表現を追求する。≪夜警≫を描いた1642年にはサスキアが没し、やがて家政婦に婚約不履行を訴えられるなど、身辺多難な時期に入るが、作品はレオナルドを主とするイタリア・ルネサンス絵画の影響下に、鎮静化された内面表現が顕著となり、風景画も手がけられた。1645年頃から家政婦のへンドリッキェと同棲。1656年破産宣告を受け、翌年には多数のコレクションを含む財産が競売に付された。美術史上最大の自画像画家としても知られる。アムステルダムのユダヤ人区に没する。


三本の木

三本の木

1643年
エッチング・ドライポイント,紙 21.1×28.0cm
昭和60年度購入

アムステルダム郊外のディーメルデイク付近の風景と言われる。激しく雲が動く大空を背景に、三本の樹木が荘厳に佇立し、雲間から洩れる光の筋(ドライポイントによる)がこれと均衡をとっている。左方の水辺には漁夫が、右方の繁みには密会中の男女が潜み、小高い所では画家がスケッチをし、家畜が処々にたむろしている。言わば大自然の根源的な生命力に対する讃歌であるが、前年に没した妻サスキアへの鎮魂歌という趣もある。本図のステートは1点のみで、アムステルダム、ベルリン、ボストン、サンクト・ペテルブルグ、ロンドンその他、著名美術館に収蔵されている。ちなみに当館作品は、1981年までボストン美術館に寄託されていた。(S)


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