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ジェームズ・ロザティ
James ROSATI

1912-1986

ペンシルヴェニア州ワシントンに生まれる。初め音楽に関心を抱き、1928-29年ピッツバーグの室内楽団でヴァイオリン奏者を務めたが、1934年彫刻に転向。1937-41年、連邦公共事業促進局(WPA)のプロジェクトに参加、1944年ニューヨークに居を移し、彫刻に専念する。1954年、ニューヨークのペリドット画廊で最初の古典。同年ブルックリンのプラット・インスティテュート、翌年にはクーパー・ユニオンで教える。1960-73年、イェール大学彫刻科教授を務めた。1962年シカゴ・アート・インスティテュートの金メダル、1964年グッゲンハイム奨学金を得る。1973年アメリカ鉄鋼インスティテュトのデザイン賞を受賞。60年代から70年代を通じ、時に彩色されたスチールのブロック体をリズミカルに接合する作風を示したが、70年代末からは次第に曲線をとり入れ、彼のフィルムのタイトルでもある「眼のための音楽」を野外彫刻で展開した。


アークII

1982-84年
ステンレス 397×473.5×183cm
昭和60年度購入 

10代の半ばからプロのヴァイオリン奏者として音楽家を夢みたロザティは、20代始めに彫刻家に志望を転じ、やがてゴンザレスや親友デイヴィッド・スミスの感化を示す金属彫刻に、もちまえの音楽性を発揮していった。60年代末から各地に設置され始めた彼の屋外彫刻は、抽象的な幾何学的形態に有機的・音楽的なリズムを託し、描写性や寓意性を離れた生命感情の構築という点で、公共彫刻のひとつの模範例と見なされるにいたる。晩年の“アーク・シリーズ”では、従来の方形によるブロック構成から、流麗な曲線を優美に交叉させ、くりぬかれた円形に自然環境を響きあわせる作風を展開させた。「彼の彫刻は騒がしい集会場における、静かで澄んだ、確かな肉声のようなものだ」(アルバート・エルセン)といった評価は、自己の内的メッセージに発するロザティの単旋律的な作風構造をよく示している。
≪アークII≫は2点制作のうちの1点で、「モニュメンタル彫刻近作個展」(1984年5月-7月、ニューヨーク・マルボロー画廊)出品作。光を彫刻の本質的要素と見なした作者らしく、ステンレスの各面は光沢のある繻子のような輝きを帯び、その形態は例えば人が歩む時に体感する、音楽的なリズム感を内包している。なお本作に先立つ作に赤くペイントされた≪アークI≫(1981-83)があり、ダラス銀行のあるリー公園(テキサス州)に設置されている。(S)


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