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清水 九兵衛
KIYOMIZU Kyubee

1922-2006(大正11-平成18)

愛知県大久手町に生れる。名は広、塚本竹十郎の三男。1942(昭和17)年名古屋高等工業学校建築科を半年繰上げて卒業、同年徴兵され、戦時沖縄に配属されるが、九死に一生を得て復員、1949(昭和24)年東京芸術大学工芸科鋳金部に入学。在学中京都の六代目清水六兵衛の養嗣子となる。1953年同部卒業。その後作陶に従事、清水洋の名で発表。1963(昭和38)年京都市立芸術大学助教授、1968年同大学教授。1966年から作品が抽象へと移行し、1969-70年イタリアに滞在。1974(昭和49)年第4回須磨離宮公園現代彫刻展で神戸市教育委員会賞受賞。1975年第13回アントワープのミデルハイム美術館野外彫刻ビエンナーレ展に出品、第6回現代日本彫刻展で毎日新聞社賞・東京国立近代美術館賞受賞、第6回中原悌二郎賞優秀賞受賞。l976年第17回毎日芸術賞受賞。1977年第3回彫刻の森美術館大賞受賞、第6回現代日本彫刻展群馬県立近代美術館賞受賞。1979年第1回へンリー・ムア大賞展優秀賞受賞。1980年第7回須磨離宮公園現代彫刻大賞受賞。1982年オークランド第12回国際彫刻会議で個展開催など。
清水家に入りながら土の強烈な質感に馴染めず、彫刻家を目指した彼は、作品の置かれる場所との親和(AFFINITY)を重視した制作を行い、当初はまさに“AFFINITY”というタイトルをつけられた作品が多かった。野外彫刻としての耐久性からアルミニウムを素材として使い、日本の中で環境と最も親和している瓦からイメージされる湾曲した薄板風をさまざまな形に展開している。最近は朱色の使用が多く、都市や建物の中、外にも置かれる彼の作品は、作品の主張ととともに、現代の無機的な空間を人に馴染む親和的な空間に変換しているといえる。


地簪

地簪

1986(昭和61)年
着色アルミニウム 150.0×454.0cm
昭和60年度購入 

アルミニウムに赤い塗科を吹きつけた板が中央に凸に膨らみ、そして左右は湾曲して地にどっしりと刺さっている。赤い地はのっぺりとした磨かれた表面ではなく、梨地のような肌合いをみせており、アルミニウムの銀灰地と赤い塗科の微妙な結びつきを見せている。
本作に関し、作家は以下のコメントを寄せている。
「私の彫刻の構成は一つのフォルムと一つのフォルムとの結びつき、馴染み合いという所から出発していますので、初期の作品には「AFFINITY」というタイトルの作品が多くありますが、「地簪」もその延長線上の一作ということができます。この作品は当美術館の意向を踏まえて、横長の構成形を盛り土の斜面に設置したのですが、盛り土をしたのはフォルムと大地との関係を強調し、周囲の緑帯にも馴染ませたいという意図によるものです。」(「静岡県立美術館 彫刻プロムナード案内」1986年) 盛り土に芝も馴染み、周りの緑も深くなった今、作者の意図も叶ったといえるが、その環境の中でも作品の強烈な主張が印象的である。(Oy)


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