1946(昭和21)-
清水市に生まれる。県立静岡高校を経て武蔵野美術大学彫刻科に学ぶ。在学中の1969(昭和44)年より行動美術展に出品し、翌年同展新人賞、1973(昭和48)年会友賞、1974年行動美術賞を受賞、1975年には同会会員となる。この間、1971(昭和46)年にはユーゴスラヴィア国際彫刻シンポジウムに招かれて制作、翌年イタリア・フェリオーロの石切場で制作し、作品はレニャーノ野外美術館に収蔵された。1975年以降現代日本美術展、宇部の現代日本彫刻展にたびたび出品、宇部では1977(昭和52)年に宮崎県総合博物館賞を得た。その間一貫して鉄と石という素材の構築に努め、そこに開示された物質性と等価な表現性を追求、1980(昭和55)年にはゴンザレスの鉄彫刻に関する論考を発表している。美ヶ原高原美術館でのへンリー・ムア大賞展では、1983(昭和58)年佳作賞、1985年には白御影石のブロックを積みあげ、コールテン鋼板とともにワイヤーロープで縛った作品てマンズー特別優秀賞を受賞した。美ヶ原のロダン大賞展でも1988(昭和63)年に優秀賞。個展も1987年佐谷画廊、1990年に南天子画廊、1994(平成6)年南天子ギャラリーSOKOで開催し、鍛造した鉄塊や木塊を錐状・塔状に積みあげた作品によって新たな進境を示した。作品は当館のほか、美ヶ原高原美術館、東京国立近代美術館、東京都現代美術館、大原美術館、富山県立近代美術館などに所蔵されている。 |
風化儀式V-相関体 1986〈昭和61)年 |
円錐状に積まれた白御影の石塊を横に貫いてコールテン鋼板が走り、粗石ともどもワイヤーロープが堅く締めあげている。1985(昭和60)年の第4回ヘンリー・ムア大賞展(美ヶ原高原美術館)でジャコモ・マンズー特別優秀賞を得た鋼板が縦に走る≪風化儀式IV≫のヴァリエーションである。石と鉄という異なる素材の形態と材質とのせめぎあいが緊迫感あふれる造形を生み出しているが、一方これら最も基本的な素材が、刻々に流れゆく時間の中で自然の気象変化に身をさらし、苔や錆を帯び、やがて腐蝕し瓦解するであろう時、自然と対立して生まれた石と鉄の寡黙な構築物は、むしろ自然と融合した永遠性を獲得することになるのだろう。石と鉄の、そして時間と空間の相関性において成就される「風化儀式」の完了する時が、この作品の完成する時なのであり、作者は素材の物質性を見すえ、ローブが弾けて断ち切れる年数さえ計算している。−一ところで、作者は本作に富士山をイメージしたようである。「山は外観する量と同じ量を地下に備え、その量が生む浮力によって地殻のマグマの上に浮いている、という話を聞きます。とするとあの秀霊な富士山も、地殻に向って巨大な量の楔を打ち、その浮力をもって壮大な容姿を保っていることになります。……私は富士山を作りたいと思います。」(1986年、当館へのメッセージ)その意味で本作は、彫刻の作品構造そのものにおける「風景」表現の可能性を提起した作であり、また構築された作品と対象の「実寸」感覚の問題、すなわち大きさの絶対値に関する作者の最近の課題を導いた点でも、その後の展開の上で意味のある作品となった。(S) |