1904-1988
ロサンゼルスに生まれる。父は詩人・評論家の野口米次郎、母はアメリカ人作家のレオニー・ギルモア。幼少期を日本で過ごし、14歳で単身渡米。高校卒業後彫刻を学び始める。1927年グッゲンハイム奨学金を得てパリに留学、半年ほどブランクーシの助手を務めた。1929年ニューヨークのユージン・シェーン画廊で最初の個展。1930年北京に滞在し、斉白石に毛筆デッサンを学ぶ。翌年来日、京都の陶工宇野仁松に陶芸を学び、埴輪や禅の庭に感銘した。帰米後は社会派の作家たちと交流し、公共モニュメントや公園設計、舞台装飾、家具デザインなども幅広く手がける。戦後の1950年に再び訪日、東京三越で日本最初の個展を開催した。環境との結びつきを重視した象徴的な造形は、西洋近代の造形感覚に東洋的精神性を融合させたものと評されている。1969年東京国立近代美術館のために≪門≫を、翌年大阪万博のために噴水を制作。1972年香川県牟礼にアトリエを設ける。1984年コロンビア大学より名誉博士号授与。翌年ロング・アイランドにイサム・ノグチ・ガ一デンミュージアムを開設。1986年第42回ヴェネツィア・ビエンナーレの合衆国代表に選ばれた。ニューヨーク大学病院で、心不全のため没する。1992年日本初の本格的回顧展が東京・京都の国立近代美術館で開催された。 |
クロノス 1947年 |
主題はギリシャ神話の「時」の神クロノスである。クロノスの父ウラノスは、クロノスら自分の子供を暗黒界(母ガイアの腹の中)に閉じ込めたが、末子クロノスは鎌(または斧)で父の陰茎を切って外に出て、自ら神々の王となった。そのとき父から自分も同じように息子に殺されると予告されたクロノスは、生まれてくる息子たちを恐れ、次々と飲み込んでしまう。しかし、母の細工によってその難を逃れた末子ゼウスがクロノスを退治し兄弟を助け、代わって神々、人間の父となった。このクロノスを中心とした神話は農耕文化における年ごとの祭式を象徴し、「時」の意味をもつ。本作品の原形はバルサ材によって作られた。この時期ノグチは女流ダンサー、マーサ・グラハムのための舞台デザインの仕事においてバルサ材を使用していることから、本作は、彼女のダンスでたたえられる神話のイメージと関連していると見られる。アーチの下に吊された五つの分離した像はクロノスに飲み込まれる子供たちの涙、或るいはその手足とも解されるし(N.グローヴ)、また時を刻む振子のようにも、さらには、クロノスが父に向けた鎌のようにも見える。いずれにせよ、バルサ材の有機性をもった抽象形体には、洋の東西を問わない神話的「時」、自然の「年」がシンボライズ(「絵文字的象徴主義」くA.C.リッチー〉)されている。なお,本作品の制作年1947年は、ノグチの父が死去した年。本作はバルサ材によるオリジナル作品(ミネアポリス、ウォーカー・アート・センター蔵)からのブロンズ版5/6で、ブロンズはほかにイサム・ノグチ美術館、ワシントン・ハーシュホン美術館等に所蔵されている。(S) |