1775-1851
カスパル・ダーヴィト・フリードリヒと並んで、ロマン主義的風景画の最高峰に立つ英国の画家。ロンドンの理髪師の子に生まれる。早くから画才を発揮し、14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入学。まもなく水彩画を同アカデミーの展覧会に初出品し、1802年に正会員となる。初期に学んだ水彩画の制作は、油彩画の制作とともに生涯を通してつづけられることになる。1802年に第1回ヨーロッパ旅行、1819年にイタリアを初めて訪れる。以後再現的に描写された対象が、眩い光と輝かしい色彩に溶けこむようになり、時には幻想的な表現にまでおしすすめられている。1840年代には周期的にヨーロッパ各地を旅したが、とりわけ崇高な山景を誇るアルプスに心ひかれ、スイスを歴訪して多くのスケッチをのこした。また版画も手がけ、『研鑽の書 Liber Studiorum』と称する版画集も出版している。約2万点をかぞえる彼の作品は、死後国家に遺贈され、現在テート・ギャラリーのクロア・ギャラリーの所蔵となり、一般に公開されている。 |
パッランツァ、マッジョーレ湖 1846-48年頃 |
早朝の光を想わせる黄金色と、水面や山景を彩る青とが溶けあった水彩による風景画で、ターナーの典型的な後期様式を示している。画面全体は霞に包まれたように不明瞭であるが、前景の湖岸には一軒の小屋と群衆らしきものが見られる。晩年のターナーは、湖岸から丘陵の斜面に沿って流れ漂う大気に強い関心をみせ、アルプス一帯に散在するレマン湖、トゥーン湖、ルツェルン湖などの湖水を歴訪し、多くの水彩画の秀作をのこした。1840年代のターナーは、水彩画のシリーズをいくつか重ねていて、これらに続く最後のシリーズも考えていたという。これら晩年の水彩画は、若い頃のシリーズよりサイズが大きく、自由な筆使いを見せているが、しかし本作の場合、その最後のシリーズを構成したであろう他の作品より、前景人物がきわめて不明瞭であることから、まだ筆を入れるつもりだったのかもしれない。インディアナポリス美術館にある《トゥーン湖畔のオーバーホフェン》は、様式上もっとも近く、1846年の透かし文字をもつことから、本作の制作年もその頃で、やはりスイス側の湖を描いているとも考えられる。(K) |