平成14年度夏休み子どもワークショップ
小学校低学年+保護者の部(7/30〜31):子ども13人、保護者11人 小学校高学年の部(8/1〜2):子ども13人 中学生以上の部(8/3):子ども3人、博物館実習生18人
我が子の演奏を見守るお父さん。でも、次はお父さんの番だ。
ところが、非常に興味深いのは、その中から、ときおりはっとするような音が出るのである。叩き方やリズムや音色などが、まったくの偶然に、瞬間的に変貌する。飽きてきた子どもが、乱雑に、無気力に、あるいは暴力的に叩く時、意図的に計算されたのでは決して出ない音が生まれる。本人が気づいてそれを展開することもあれば、まったく気づかずに、すぐに消えてしまうこともあるが、まぎれもなくその音は、その瞬間に、表現として立ち現われてくるのである。 金沢氏は、耳を澄ませてそれを聞いているのだと思う。表現以前の音と、表現としての音。その微妙な境界を見定めることが、金沢氏のねらいなのではなかろうか。そのために金沢氏はときおり子ども達の演奏に割って入り、即興のセッションを仕掛けることもある。突如、乱入してくる金沢氏の音に、いっそう戸惑いつつも、必死に音を出そうとする時、狭く、未成熟な自我を越えた地点からやってくる神の声とでも言うべき、表現としての音が現出するのだ。 誤解を恐れずに言うなら、金沢氏は自分が楽しむために、このワークショップをやっているのである。子ども達の機嫌を取って、彼等を楽しませてやろうなどとは微塵たりとも思っていないに違いない。金沢氏は、表現を紡ぎ出す行為として、それはすなわち制作行為として、この活動をやっているのである。つまるところ、金沢氏は講師ではなく、やはり作家なのである。 これはワークショップを偽装した作家活動である。こう言うと、功利的な誤解を生むかもしれないが、あらゆる機会を自分の制作行為として利用する、それが作家の本性なのであり、それくらいでなければ作家として生きていけない。私は金沢氏に、作家という生き様の厳しさを見る思いさえした。 だが、そもそも表現するということは厳しいことなのだ。たった一人で、衆目を前に語らなければならない。誰よりも自分の声に耳を澄まし、他者の声を聞き、それらの響き合いの中から、何かを立ち上げていく行為。これがちゃらちゃらと楽しいだけの行為であるはずがない。そして、そうした厳しさの上に立ち表れる表現を見る時、そこに本当の楽しさがあるのであり、金沢氏や他者とのセッションでそれを分かち合えた時にこそ、他の何にも代え難い喜びを感じることができるのである。表現することに、大人も子どももない。だから、金沢氏は子ども達を子ども扱いしたりはしないのだ。 今回のワークショップに参加してくれた子ども達、見学に来た保護者やその他の人達が、そのような表現することの厳しさと喜びを少しでも感じ取ってくれたならば、企画者としては幸いであると、今にして思っているところである。 最後に確認しておかなければならないのは、このようなワークショップが可能だったのは、《音のかけら》という作品だったからだということだ。金沢氏は、《音のかけら》を楽器と見なされることを嫌い、「楽器以前のもの」と呼ぶ。楽器とは、特定の文化的、歴史的コードのもとで作られ、そこから出る音はすでに文明化された音である。コードを習熟した奏者によって奏でられるので、基本的にそのコードに枠付けられた表現しか生まれない。だが《音のかけら》は、楽器よりもはるかに音のレンジが広い。鉄の物質そのものの音から、まさに鉄琴のようなクリアな音まで、叩き方や叩くものによっても様々である。特定のコードに依らない剥き出しの音の集まりの中から、何を紡ぎ出してくるのか、叩く者が問われるのである。それゆえに《音のかけら》は、より現初的な表現の表出装置として機能するのである。だからこそ、表現そのものを問うこのようなワークショップが可能なのであり、金沢氏が《音のかけら》の制作にとどまらずに、こうした活動を続けている理由もそこにあるのである。ちなみに、音をテーマにしたワークショップによく見られる「リズム遊び」を金沢氏がやらず、つねにインプロヴィゼーション(即興)に依っている理由も、ここにあるだろう。 《音のかけら》を、鉄と文明、大地と人間、水平と垂直などのメタファーで語ることは可能である。《音のかけら》が大地の地割れのような作品であるにもかかわらず、ゴムの足によってその大地からわずかに立ち上がっているように、人が人として、大地から二本の足で立ちあがること、その厳しさこそが、表現することの厳しさのはるかなる起源なのだと思う。帰するところ《音のかけら》の鑑賞とは、そのような人類の太古以来の記憶を追体験するということなのであろう。今回のワークショップは、そうした実践の一例であったに違いない。
堀切正人(当館学芸員)