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蘭亭曲水・龍山勝会図屏風

作品上でのマウス操作、またはタッチ操作で超高精細画像をご覧頂けます。自在な筆遣い、瑞々しい彩色はもちろん、人物たちの豊かな表情をはじめとした細部にも注目しながらお楽しみください。

【操作方法】
PCの場合:
拡大縮小…マウスのホイールを回転
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拡大縮小…ピンチ(2本の指を画面に当てて広げる/閉じる)
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【推奨動作環境】
PCの場合:GoogleChrome/Firefox/Safari最新バージョン
スマートフォンの場合:Android 6.0以降 Google Chrome/iOS12以降 Safari
※上記推奨環境以外では正常に動作しない場合があります。
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制作年:宝暦13(1763)年
寸法:各158.0×358.0
材質:紙本着色
蘭亭曲水は、東晋の永和九(353)年3月3日に、浙江省の蘭亭に王羲之(303~61)が文士四十一人を集め修禊(みそぎ)を行った故事に由来するもの。曲折した流水に杯を流し、自らの前を過ぎるうちに作詩をし、詩ができなければ罰として杯を空けるという風流な趣向を描く。蘭亭曲水図は江戸時代を通じて好まれた画題だが、大雅は屏風の大画面にのびのびとした筆致で文士や渓流を表している。奥行きのある開放的な水辺の空間に文士たちの憩う様子を描く場面構成には、明・清代の庭園雅集図からの影響がうかがわれる。
「龍山勝会図」は、9月9日に龍山で開かれた重陽の酒宴に招かれた孟嘉(もうか)の故事を描いたもの。酒宴の最中、孟嘉は風で帽子が吹き飛ばされたのに気づかずに、同僚から嘲笑する詩を作られるが、孟嘉は平然と、見事な詩によって返答し、人々を感嘆させたという内容である。「龍山勝会図」は、「蘭亭曲水図」とは異なり、大雅以前にはあまり絵画化されていない画題で、現実の雅集図を重ね合わせて享受された可能性が指摘されている。「龍山勝会図」のうねるような岩山、巨木の閲(せめ)ぎあうような描写や、画面前景と水面を隔てた遠景との対比的な空間表現は、鑑賞者の眼に鮮烈な印象を与える。大雅が四十一歳にして自らの画風を完成させたことを示す、記念碑的大作である。

池大雅1723-1776(享保8-安永5)

池大雅1723-1776(享保8-安永5)

江戸時代中期に活躍した関西の南画家、書家。姓は池野、名は勤(きん)、のちに無名(ありな)。字は貸成(かせい)・公敏(こうびん)。号は大雅のほか、九霞山樵・三岳道者など多数。京都の銀座役人・池野嘉左衛門の子として生まれる。幼少期より才能を発揮し、元文2(1737)年、15歳で扇屋を開いたと伝えられる。『八種画譜』や『芥子園画伝』を利用して描いた扇絵の販売と篆刻を行い、中国の木版画譜を通して文人画を学ぶ。萬福寺の黄檗僧や初期南画家の柳沢洪園(1704-58)、祇園南海(1676-1751)との交流により、文人画への理解を深める。日本の伝統的な諸派の作品や西洋画の表現をも取り入れ、伸びやかな筆線と明快な彩色、奥深い空間表現を特徴とする画風を確立し、南画の大成者となる。