田中保は埼玉県出身。旧制中学卒業後の1904年に単身渡米、1920年にはパリに渡り、以後、裸婦を得意とする画家として活躍した。1941年、渡米以来一度も帰国することなくパリで生涯を終えている。本作は、作者が渡仏した年のもので、キュビスムの影響をくぐったアメリカ時代と、豊満な裸婦像で知られる円熟期の狭間に位置する作品である。セーヌ川沿いの夕闇を描いた画面には、対岸の灯と工場の煙突をわずかに認めることができる。うらさびしい叙情性は、米国人画家ホイッスラーらとの共通点を感じさせるが、それ以上に、画家の個人的な感傷を共感できる表現に昇華した作品として評価できよう。
《セーヌの宵》
1920(大正9)年
54.5×65.4 キャンヴァス、油彩
《水上の蛍》は、鑑賞者が作品の中に入っていって、身体ごと空間を体感する作品である。扉を開けると、暗闇の中でまばゆいばかりに輝く無数の電飾の光が、目に飛び込んでくる。足元に伸びる通路をたどって、部屋の中まで進むと、頭上に吊り下げられた150灯の電飾の光が、壁や天井の鏡面と、足元で揺れる水面に映りこんで、現実空間だけでなく、虚構空間の中で無限に増殖して行くようにみえる。長いキャリアの中で生み出したコンセプトやスタイルを集大成した、草間彌生後の最高傑作といっても過言ではない。3バージョン作られており、このたび当館のコレクションに加わったものは、この内のオリジナルバージョンにあたる。
《水上の蛍》
2000(平成12)年
442.4×442.4×320.0
鏡、金属、電球、木、
アクリル板、水
石田徹也は、1973(昭和48) 年、静岡県焼津市生まれ。新進気鋭の画家として注目されるが、踏切事故により31歳の若さで死去した。2006(平成18)年、NHK新日曜美術館の本編で取り上げられて大反響を呼び、没後、一躍脚光を浴びている。一貫して、自画像と思われる若者をモチーフに、市井の者が現代社会を生きる辛さ、悲しみを描き続けた。
《ビアガーデン発》 1995(平成7)年 51.0×78.5 紙、アクリル |
《居酒屋発》 1995(平成7)年 51.0×78.5 紙、アクリル |
《SLになった人》 1995(平成7)年 85.8×60.7 紙、アクリル |
《無題1》 1995(平成7)年 72.8×103.0 板、アクリル |
《飛べなくなった人》 1996(平成8)年 103.0×145.6 板、アクリル |
《社長の傘の下》 1996(平成8)年 103.0×145.6 板、アクリル |
《燃料補給のような食事》 1996(平成8)年 145.6×206.0 板、アクリル |
《トイレへ逃げ込む人》 1996(平成8)年 103.0×145.6 板、アクリル |
《兵士》 1996(平成8)年 145.6×103.0 板、アクリル |
《引き出し》 1996(平成8)年 59.4×42.0 キャンヴァス、アクリル |
《クラゲの夢》 1997(平成9)年 103.0×145.6 板、アクリル |
《無題2》 1997(平成9)年頃 103.0×145.6 板、アクリル |
《めばえ》 1998(平成10)年頃 145.6×206.0 板、アクリル |
《市場》 1999(平成11)年 206.0×145.6 板、アクリル |
《彼方》 1999(平成11)年 145.6×206.0 板、アクリル |
《無題3》 2000頃(平成12)年 194.0×162.0 キャンヴァス、アクリル |
《無題4》 2000頃(平成12)年 194.0×162.0 キャンヴァス、アクリル |
《無題5》 2001(平成13)年 45.5×53.0 キャンヴァス、アクリル |
《無題6》 2001(平成13)年頃 130.0×162.0 キャンヴァス、アクリル |
《無題7》 2004(平成16)年頃 145.5×194.0 キャンヴァス、アクリル、油彩 |
《無題8》 2004(平成16)年頃 91.0×116.7 キャンヴァス、アクリル、油彩 |
フランス新古典主義の風景画家、ジャン=ヴィクトル・ベルタンの油彩ガラス画。ともにオウィディウスの『転身物語』を主題の典拠としている。新古典主義の風景画らしく、風景モティーフは主題をなす人物とともに、画家の想像力と記憶によって再構成されている。18世紀の家具の一部を飾っていたのではないか、と考えられる。
《ディアナと水浴するニンフのいる古典的風景》 1797年 12.0(直径) ガラス、油彩 |
《ナルキッソスのいる古典的風景》 1797年 12.0(直径) ガラス、油彩 |