ロダンは、彫刻によって真の自然描写を成し遂げようとした。深い感情を湛えた作品を制作し、彫刻の近代的革新を成し遂げたロダンは、法則や規範によってがんじがらめになった美術アカデミーを軽蔑し、古典作品の模倣を否定している。
しかしロダンは、ギリシア彫刻を崇敬し、ミケランジェロのような過去の巨匠を尊重する気持ちは終生失わなかった。巨匠たちの作品をよく味わい、みずから創作の糧とすることを重視していたのである。大切なのは巨匠の作品を模倣することではなく、巨匠のような視点をもって実直に対象を観察することであるとロダンは考えていた。
そんなロダンにとって、すでに亡くなった人物を顕彰する記念碑の制作は、ちょっとした冒険といえるかもしれない。なにしろ観察の対象がいないのだから。 |
《クロード・ロラン》 |
《バスティアン=ルパージュ》 |
《ボードレールの頭部》 |
しかしロダンは、それをごまかすために芝居がかった誇張表現をとったり、必要以上に英雄的に表現したりはしなかった。例えば一連の《バルザック像》の制作においてロダンは、バルザックの出身地に出かけてその土地の人々の体型を調査した。そしてさらに、バルザックの服屋に生前の寸法の服を作らせることまで行い、できる限り真実に近づこうとしたのである。
《クロード・ロラン》は17世紀イタリアの大画家、《バスティアン=ルパージュ》は19世紀フランスの画家である。ルパージュは同時代人であり、その人物像も把握しやすい。それに対してクロードはロダンにとって2世紀も前の人物である。しかしロダンは、どちらの作品にも、情感と動きを伴った自然な存在感を与えている。《ボードレールの頭部》の制作においては、ボードレールによく似た若者を探し出し、単なる形態の写しではなく、詩人の息遣いを感じさせる造形を成し遂げた。この作品についてロダンは、「彼については頭部がすべてだ」と言ったという。類まれなる知性の人ボードレールに対するロダンの深い理解が、この一言に端的に表れている。 |
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