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●研究ノート
目と頭、手を結びつけることについて

美術鑑賞深化のための試み
新田建史 福元清志


 美術館で行なわれる諸々の普及事業は、来館者の美術鑑賞をより深めるための一助として行なわれる。当館実技室等で行なわれる、絵画や版画、彫刻技法の体験やワークショップ等、実技に関わる普及事業であれ、学芸員等を講師とする講座等の普及事業であれ、この点においては変わらない。だが、それら普及事業殊に講座等のそれと実際の作品鑑賞との結び付きは、必ずしも良好だとは思われない。本稿では、現状の問題点を指摘した上で、問題解決を目指した試みを幾つか、ご紹介したい1

画面から情報を読み取れない
  講座系の普及事業でしばしば行なわれるのが、作品を取り上げ、それに付随する情報を伝えることで、参加者の興味を喚起しようとするものである。例えば1枚の絵画について語る際、まず講座室等の会場で、作品の文化的背景(描かれた画像の意味、図像、注文の状況、画家の人生、裏話等々)について語り、当該の作品についての知識を深めてもらう。後、参加者は各自展示室で作品を見て、先に聞いた解説を元に、鑑賞を行なう訳である。これはどこでも、ごく普通に見られる形態であろう。
  だがこの形態による講座の後、速やかに作品鑑賞に入ることが出来ない参加者や、講座で聞いた内容と作品の鑑賞とを結びつけることに、困難を覚える参加者の居る場合が見られる。折角聞いて覚えた知識が、作品を観ることに役立てられないのである。講座を聞いて下さった参加者と絵の前で話しても、講座で話した内容をなぞった答が返ってくるのみで、参加者自身の感じたところがうかがえない場合がこれに当たる2
  この問題の原因の一つとして、「画面から情報を読み取れない」という状態に陥っている場合があるように思われる。
  絵画作品から情報を読み取るためには、観者からの能動的な働きかけが必要である。色と形の構成を観者自らが「観て」「取る」という行為が無ければ、絵画鑑賞は成立しない。絵画作品を文章になぞらえるなら、どこにどのような字があり、個々の字が何を意味するかが分からなければ、全体としてどのような文を成しているのかは分からないのと同断である。これは単に、個々の字を知れば解決するという知識の問題ではない。文字というものが意味や音を表しており、それは読み手の能動的な働きかけによって認識出来るのだ、ということを知らなければならないという、行為の問題である。
  再び話題を絵画作品に戻すと、「画面から情報を読み取れない」という状態を、我々は二つの側面から考えてみた。それぞれに対応する問題解決の試みが、以下の二つである。

モチーフの読み取り
  画面から情報を読み取る第一歩は、何が描いてあるのかを知ることである。描かれているのが人なのか、樹木なのか、建築物なのか、まずそれが最初である。これは文字通り「見れば分かる」ことのようだが、案外人間は見ているものをそれと認識していない。
  我々は平成17(2005)年度以降、小・中・高校等で絵画の見方についての講座を行なう際、上述の問題に留意し、以下のようにカリキュラムを進めた。
まず、アトランダムに20数個の記号が並んだ画像(図1)を、1分間見せてから、消す。そして数分間の時間を与え、今見たはずの記号を、紙に書き出させる。
  頃合を見計らい、改めて画像を映し、幾つ記号を思い出すことが出来たか、答え合わせをしてもらうのである。ここで必要なのは、「記憶力のテスト」だなどという前置きはしないことである。この前提があると、「憶えるため」に画像を見てしまう。重要なのは、「ただ画像を見る」という状態では、人間の注意力はあまり働かない、ということを実感してもらうことなのである。個々の記号は、いずれも「見れば分かる」類のものだが、記憶には残らない。これまでの実績では、最多で17、8個、少なければ2、3個を記憶しているのが通例であった。
  次に美術作品を挙げ、同様に1分間見てから消し、紙に見たものを描かせ、改めて画像と照らし合わせて答え合わせをしてもらった。今年度移動美術展の際に数回行なった小・中学校対象の講座では、移動展出品作でもあったデューラーの《放蕩息子》を例示した(図2)。この場合、モチーフを全て憶えていることはほとんどありえない。すでにある程度注意力を喚起されていても、である。


図1

図2 アルブレヒト・デューラー
《放蕩息子》当館蔵

 次に、 モチーフがどのように描かれているかをよく観察する、という話題に移った。具体的には、移動展展示用に作成した、同一の下絵による技法別4種類の版画3の中から2種類を選び、下絵と共にこれを例示した。ここではエングレーヴィングとエッチングを挙げる(図3)。この観察から、同様に線による描画であっても、タッチの違い等から画面の印象が大きく異なることを示した。
  ここまで話を進めてから、複数の美術作品から具体的なモチーフを取り出し、比較を行なった(図4)。本稿の場合は雲の描写を例に取った。


図3 彫版によって異なる印象の例
左:エングレーヴィング 右:エッチング


図4 雲の描写を比較した例
左:曽宮一念《毛無連峰》部分 右:A=E・ミシャロン
《廃墟となった墓を見つめる羊飼い》部分いずれも当館蔵


 対象となる児童の年齢等に応じて多少の変更は加えたものの、概ね以上のような流れで、絵画の見方についての講座を行なった。この講座のポイントは、
①何が描いてあるかをよく見る。
②どのように描いてあるか、よく見る。
③それらが作品によって、どのように異なるかを比較する。
  という3点に絞ることが出来る。
  この講座を実施してから展示室で作品鑑賞を行なったところ、児童の集中力が持続し易く、細かい観察を行なう様子が見られた。むしろこの場合、「細かな観察を行なう」という行動の指針こそ、作品に対する能動的な働きかけのきっかけになったのだと思われる。
  非再現的な絵画作品の鑑賞にはやや不向きという難点はあるが、絵画鑑賞の窓口として、上述の3つのポイントを具体的に体験させるという方針は、今後も模索されるべきであろう。

「もの」としての作品の読み取り
  画面からの情報を読み取るに当たって重要なもう一つの側面は、「もの」としての作品の実感であろう。目の前の屏風や油彩画、版画がPCのモニターではなく、手触りのある「もの」であることを感じること、そして自分が手を動かして作るいたずら描きの、基本的には延長線上にあることを感じること、それら作品への「実感」が、画面の情報を読み取るための窓口の一つとなり得る。
  我々がギャラリー・トーク・プラスないしはフロア・レクチャー・プラスの名称で行なっている講座は、この点を強く意識したものである。平成16(2004)年度の収蔵品展「西洋の風景画」以来、本年度移動美術展まで、幾つかの機会に実施してきた。
  これまでは、いずれも銅版画について新田が解説を行なった後、福元がエッチングを例にとって刷りを実演、講座終了後には改めて作品鑑賞を促す、という形で行なわれた。また、グランドを引いた銅版を用意しておき、講座冒頭で参加者に描画の体験をしてもらい、これを酸によって製版している間に新田が解説を行ない、40分程後に参加者による版を刷る、というバージョンも実施された。本年度移動美術展では、展示室の至近に銅版画用プレス機を設置することが出来たため、作品鑑賞と刷りの実演とを密接な形で行なうことが可能となった(図5)。


図5 福元による刷りの実演
本年度移動展西部会場にて

 この講座の実施により、日本人にとって馴染みの薄い銅板による凹版技法をよく理解出来た、という声を毎回いただく。参加者による版を刷った場合には、自分の描画した線と、展示された作品との落差が明確になるため、作品の持つ力をより一層実感出来るようである。
 これまでは銅版画について行なってきたが、木版画や日本画等、他の媒体でも何らかの形で応用は可能であろう。難点は、実演可能な技術を持つ人材が無ければ、実施出来ないということである。

 本稿で述べてきた試みは、いずれも「画面から情報を読み取れない」という観者に対して、効果を確認出来たものである。肝要なのは、作品についての知識を提供するのではなく、作品に向かい合うための動機付けを提供する、ということである。絵の鑑賞に楽しみを感じる人が、おそらくはほとんど意識せずに行なっている作業を敢えて意識化し、その習得を可能にするような講座の模索は、今後とも必要であろうと考えている。

(にったたけふみ 当館学芸員  ふくもときよし 当館学芸課主任)


1 以下で念頭に置いているのは、ある程度の再現性を保った絵画作品である。
2 感じたことはあっても、それを表現しない別の理由がある場合も当然考えられるが、それはまた別問題である。
3 下絵は福元が作成し、エッチング、メゾチント、アクアチントは福元、エングレーヴィングは新田が彫版、福元が刷りを担当した。




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