「契丹(きったん)」という国をご存知でしょうか。今からおよそ千年前、唐王朝が滅亡し、中華世界は混沌としていました。そんな中、現在の中国北部からモンゴル、ロシアまでを含む広大な土地を支配する王朝が誕生しました。その王朝が契丹です。北アジアの草原に栄えた契丹の人々は、巧みな騎馬戦術と、唐を継承する高い工芸技術によって国力を増大させ、200年にわたって栄華を極めました。
この冬、静岡県立美術館では「草原の王朝 契丹〜美しき3人のプリンセス〜」展を開催いたします。本展覧会では、今まで日本であまり紹介されてこなかった契丹の文化財を、3人のプリンセスに焦点を当てて紹介します。
契丹のプリンセス、と聞いても、どんな人物がいたのか、ピンとくる人は少ないと思います。そこで今回は、契丹の3人のプリンセスについて、少し詳しく紹介したいと思います。
1人目のプリンセスは、第五代皇帝を祖父にもち、18歳の若さで亡くなった陳国公主(ちんこくこうしゅ)です。彼女は、黄金のマスクを被り、銀の糸を編んで作った葬衣を身にまとった状態で発見されました。黄金のマスクは目を力強く見開いており、陳国公主の生前に作られたと考えられています。また、彼女が発見されたとき彼女の隣には夫の蕭紹矩(しょうしょうく)も共に埋葬されていました。契丹では夫婦が同じ墓に埋葬されるのが一般的です。今回の展覧会では、陳国公主が身につけていた黄金のマスクや、銀の冠も出品されています。在りし日の彼女に思いを馳せるのも良いでしょう。
2人目のプリンセスは、2003年に発見されたトルキ山古墓に埋葬されていた女性です。人骨の鑑定の結果、彼女は30歳から35歳で亡くなったと考えられています。夫婦で埋葬されるのが一般的な契丹において、彼女は珍しくひとりで埋葬されていました。また、トルキ山古墓には墓誌などが残っておらず、彼女が誰なのかはわかっていません。被葬者の有力候補として、契丹の建国者・耶律阿保機(やりつあぼき)の妹ユルドゥグ公主の名前が挙げられています。ユルドゥグ公主の夫は耶律阿保機と敵対しており、ユルドゥグ公主も反逆罪で捕えられ、ひとりで亡くなったという記録が残っています。
ところで、今回の展覧会ではこのトルキ山古墓の出土品も多く出品されています。トルキ山古墓の出土品は、今回の展覧会が世界初公開になります。特に注目はトルキ山古墓のプリンセスが埋葬されていた《彩色木棺》です。高さ2m以上、長さ2m50cm以上あり、大迫力です。よく見ると、護衛人が描かれていたり、鳳凰が描かれていたり、細部までこだわって制作されているのがわかります。四方から見ることができるケースで展示していますので、色々な方向からじっくりとご覧になっていただきたいです。
3人目のプリンセスは、第六代皇帝夫人の章聖皇太后(しょうせいこうたいごう)です。章聖皇太后は波乱万丈な人生を送った女性ですが、篤く仏教を信仰しており、白塔と呼ばれる八角七重塔を建立しました。章聖皇太后が建立した白塔は、第六代皇帝の埋葬された慶陵のすぐ近くにあり、章聖皇太后の夫を思う気持ちが反映されているようです。今回の展覧会では、この白塔に奉納されていた舎利塔や仏像も展示しています。特に見どころは《鳳凰舎利塔》です。この舎利塔には、蓮の花を手に持つ章聖皇太后の肖像が彫られています。また、塔の上部の鳳凰は、その姿が平等院鳳凰堂の屋根の上の鳳凰にそっくりです。日本と契丹の関係を考える上でも、重要な作品です。
中国の北部、内モンゴルの草原地帯に、千年前こんなにも豊かな文化があったのかという驚きを、ぜひ多くの方に味わっていただきたいです。どうぞお見逃しなく!
(当館学芸課臨時技術員 大原由佳子)
※写真の作品は全て一級文物(中国の重要な文化財で、日本の国宝に相当する)。
《金製仮面》
11世紀前半内蒙古文物考古研究所
《鳳凰文冠》
11世紀前半内蒙古文物考古研究所
《彩色木棺》
10世紀前半内蒙古文物考古研究所
《鳳凰舎利塔》
11世紀前半巴林右旗博物館
清水銀行PRESENTS 特別講演会 [当館講堂] |
1月22日(日)14:00~15:30 「日本と契丹―11世紀の仏教遺産」 神居文彰氏(平等院住職) ※要申込・無料 |
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連続講演会 |
14:00~15:30 当館講堂 第1回 1月8日(日) 「契丹王朝と3人のプリンセス」 市元塁氏(九州国立博物館研究員) 第2回 2月5日(日) 「唐と契丹 華麗なる金銀器」 原田一敏氏(東京藝術大学大学美術館教授) 第3回 2月19日(日) 「契丹王族の仏教信仰」 古松崇志氏(岡山大学准教授) ※要申込・先着順・無料 |