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2004年県立美術館収蔵作品



【日本画】
狩野宗眼重信
16世紀後半-17世紀前半


「帝鑑図・咸陽宮図屏風」

 17世紀初(桃山時代)
 各155.8×362.6
 紙本金地着色、六曲一双屏風
保存抜群の桃山後期の傑作。作者は狩野宗秀(永徳の弟)の門人。ダルマ宰相と呼ばれた高橋是清の旧蔵品で長年行方不明だったが、近年再発見され、このたび当館が購入した。主題は中国の皇帝たちの故事。右隻=帝鑑図には、唐の堯帝の善行・夏の桀王の悪行(酒池肉林)・秦の始皇帝の悪行(焚書坑儒)を描く。悪行は戒め、善行は模範であり、為政者による発注と想定される。左隻の咸陽宮は始皇帝の宮殿で、そこに展開する物語が描かれる。

狩野永納
1631-1697(寛永8-元禄10)


「三教図」

  1652(承応1)
 141.1×78.5
 絹本着色金泥、掛幅装
仏教の釈迦(中)、儒教の孔子(右)、道教の老子(左)。三つの教えが究極的には一致することを表わす主題。とくに顔の表情の描きわけが見事。筆者狩野永納は、京都で幕末まで続いた京狩野家、その第三代で『本朝画史』の著者としても知られる。そのなんと22歳時の作品で、彼の現存作品のなかで2番目に早い。父山雪から継承した人物描写には、すでに高度な筆技がしめされており、専門絵師ならではの技術水準の高さがしめされる。

墨江武禅
1734-1806(享保19-文化3)


「芙蓉峯細見之図」

  1799(寛政11)頃
 53.0×65.6
 紙本墨画着色、掛幅装
寛政10年、11年、二度に渡り富士登山をした武禅が描いた異色の富士山図。特に登山口、頂上付近は細かく描写され、登山記録画の様相が強い。丸みを帯びた富士の形は、現実とは程遠いが、現実と虚構のギャップが面白い。雲などの表現は絵画的でもあり、不思議な魅力をたたえている。
武禅は大阪の人。初め船頭を業としていたが、天目釜彫物を学び、彫金を手がけた。のち月岡雪鼎に画を学び、自ら宋元の古蹟を研究して一家を成し、山水人物を描いた。

大岡雲峰
1765-1848(明和2-嘉永元)


「日金山富嶽眺望図」

  1839(天保10)
 67.5×131.7
 布地墨画着色、掛幅装
日金山(十国峠)から望む絶景――中腹に雲がたなびく富士山と、その手前に連なる箱根の連山――が描かれた大作。画面左下に二人の人物が対照的に小さく描かれるが、その一人は作者本人なのかも知れない。通常用いられる絵絹より目の粗い布地(葛布か)に描かれた点も本図の特徴である。
雲峰は江戸の文人画家。幕府の旗本。谷文晁門の鈴木芙蓉の高弟。歌川広重の師としても知られる。また、吉原宿で活躍した郷土の文人画家・鈴木香峰の師でもある。

福田半香
1804-1864(文化元-元治元)


「溪山真楽図」

 1844(弘化1)
 150.5×70.9
 紙本墨画着色、掛幅装
半香は遠州見付(現磐田市)に生まれた文人画家。渡辺崋山の高弟として幕末期に活躍した。
本作は半香41歳の時の作。半香が得意とした山水画で、点苔、樹木の表現など画面全体にわたり克明な描写がされた大作。緻密で繊細な半香特有の感覚を見せている。一方で画面構成など、晩年に多いダイナミックな表現も見せており、壮年に向かう過渡期の様相が見える。絵師の充実した技量がうかがえる山水画の優品である。

秋野不矩
1908-2001(明治41-平成13)


「天竜川」

 1935(昭和10)
 43.7×55.0
 絹本着色
天竜市出身の秋野不矩、27歳時の作。大きく迂回する天竜川の姿を、秋葉山の中腹から見下ろして描く。京都に出て絵画修業にあけくれる画家の、故郷へ寄せる変わらぬ愛情が伝わってくる作品。独自の画風を確立するにはまだまだ時がかかるが、鮮明な色彩と大胆な筆遣い、色面を主にした画面構成などには、後年につながるものを見ることができる。2度のアトリエ火災のため若い頃の作品の多くが焼失しており、このような初期の作品は貴重。

郷倉千靭
1892-1975(明治25-昭和50)


「臥龍梅 小下絵」

 1944(昭和19)以前
 70.2×176.2(屏風)、24.7×82.0(小下絵)
 紙本墨画淡彩、二曲一隻屏風

【日本洋画】
鹿子木孟郎
1874-1941(明治7-昭和16)

「紀州勝浦」

 1910(明治43)
 59.0×74.8
 キャンヴァス、油彩
デッサン、構図ともに作者の安定した力量を感じさせる佳品。穏やかで優雅なトーンを基調としつつ、随所にみられる鮮やかな紫や緑が印象的である。
海岸や渓流の岩場の風景というモチーフは、作者晩年の昭和時代に多く描かれた重厚な風景画に連なるものである。また、小山正太郎の不同舎における自然風景描写の修練によって作者の画技が磨かれたことを思い起こさせる。

原勝郎
1889-1966(明治22-昭和41)

「バガテル公園、パリ」

 1924(大正13)頃
 73.0×100.0
 キャンヴァス、油彩
バガテル公園は、パリの西端に位置するブローニュの森にある公園。本作は、原がパリに移住した直後の1924年頃に制作された数少ない滞仏作の一つで、現存する最初期の作でもある(パリのサロン出品に出品された可能性もある)。巨木の配置や二股の道など構図に特徴があり、原がパリに住む「生活者」の視線で描いた作品といえる。

宮本三郎
1905-1974(明治38-昭和49)

「農婦」

 1941(昭和16)頃
 52.0×45.0
 キャンヴァス、油彩
農婦を題材とした初期の人物画。1941年の年記をもつ貴重な作品で、帰国後に描かれた。ヨーロッパの作風を消化し、色彩を抑えながら、線描を表に出しその上に透明感のある絵具を重ねている。天賦の素描力と冴えのある観察眼によって、果実を手にした少女像を写実的に描いている。縦の筆致が目に付くが、題材は異なるものの、安井曽太郎の滞欧時代のデッサンを思わせるところがある。

石川欽一郎
1871-1945(明治4-昭和20)

「ムードン風景」

 1922(大正11)頃
 24.2×33.2
 紙、水彩
石川欽一郎は海、川、雨などの風景を好んで描き、水彩技法ならではの湿潤な情景を得意とした。本作もその特徴がよくうかがえる作品である。たっぷりと水を含ませながらも、所々に方形の筆触を残すことによって、画面を引き締め、情感に流れすぎない色彩表現を可能としている。ムードンについては、パリ近郊でありながら長閑な風情と呑気な人情とを気に入ったと、後年、画文集『山紫水明集』(1932年)に記している。

「震災後の逓信省」

 1923-26(大正12−15)頃
 28.6×19.6
 紙、水彩
逓信省の焼け跡は、大正15年半ばまで残っていたので、この絵は震災直後ではなく、しばらくたってから描かれたものであろう。震災復興風景画とでも言える作品の一つ。後年の画文集『山紫水明集』(1932年)には、「復興の東京」と題して、日本橋、須田町、永代橋が描かれている。

「岡山の海岸」

 制作年不詳
 24.2×32.8
 紙、水彩
「石川欽一郎展」(1992年 静岡県立美術館)では、《厦門港外》(1927年)として出展されたが、その後の調査で、作品裏面に作品名が記入されていることがわかった。「岡山」は台湾にもある地名なので、この絵が日本の風景なのか、台湾の風景なのかは不明。出展ラベルの切れ端が残っているので、生前、何かの展覧会に出展された可能性もある。

「台湾次高山」

 1925-28(大正14‐昭和3)頃
 25.0×33.7
 紙、水彩
作品名の記入はないが、山容から次高山を描いたものと考えてよい。台湾第2の高峰・次高山(現・雪山または興隆山)は、石川欽一郎が好んで描いた景勝の地である。「真白に雪を戴く姿からは気高さが迫る。」「これだけ大きな景色は、信州川中島から見た日本アルプスの眺望よりも遙かに優さる。」(『山紫水明集』)

「台湾風景農村」
 制作年不詳
 28.8×39.0
 紙、水彩
場所は淡水と考えられている。歴史を感じさせる家並みと長閑な農村風景、南国の強い日差しを描く。

「台湾風景農村」
 制作年不詳
 24.5×33.5
 紙、水彩
天秤を担ぐ点景人物は、石川欽一郎の台湾風景画によく登場する特徴のひとつであることから、台湾時代のものと推測される。


 1926-32(昭和1-7)頃
 23.9×18.0
 紙、水彩 画帖装(13図)
 
中国福建省、広東省と台湾の各地を活写した、洒脱な画帳。即興的に風景の特徴をとらえる、石川欽一郎の描写力が遺憾なく発揮されている。当時の風景を知る上でも貴重。
「汕頭港口」「汕頭角石」「湘子橋」「韓山展望」「涸渓塔」「汕頭外馬路」「厦門虎頭山」「厦門龍頭山」「厦門虎渓山」「?江馬尾」「福州洪山橋」「次高夕照」「新高淡烟」の13面を収める。


2005年新収蔵品

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