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2005年県立美術館収蔵作品



【彫刻】
オーギュスト・ロダン
1840-1917


「考える人」

 1880年(鋳造1920年以前)
 h37.2×28.6×23.6cm
 ブロンズ
  ロダンが生前から鋳造を依頼し、絶大な信頼を得ていた鋳造家・アレクシス・リュディエによる鋳造作品。人体のシャープな輪郭や生き生きとした筋肉の表現が特徴である。《考える人》は、もともと代表作《地獄の門》のモティーフとして制作されたが、その後独立し、185cmの大型像、65cmのオリジナル原型像、そして本作の38cmの3パターンが作られた。この作品は、大正期に日本にもたらされ、第二次世界大戦の戦禍を免れ(一部焼けた部分があるが)、現在に至っている。

【日本画】
狩野永良
1741-1771(寛保元−明和8)


「西王母・東方朔図屏風」

 18世紀半(江戸中期)
 各155.7×359.8cm
 紙本墨画着色,六曲一双屏風
  西王母は古代中国の仙女。その宮殿の庭に三千年に一度花を咲かせ、さらに三千年を経て実を結ぶ桃の木があり、実には不老不死の効能があった。その仙桃を盗み食いし八百年生きた男が東方朔。岩や樹木・遠山は南画風で揺れ動いているかのようだが、人物は凍りついたかのようなストップモーション。不思議なムードがただよう。 若冲・大雅・応挙らと同じ江戸中期の京都で描かれた。作者=狩野永良は、山楽・山雪にはじまる京都の狩野派=京狩野の第六代で31歳で若死。その貴重な大作である。

狩野探幽
1602-1674(慶長7−延宝2)


「白(はっかん)図」

 1661(寛文元)年頃
 54.2×94.2cm
 絹本着色,掛幅装
  ハッカンは雉子の仲間で中国南部原産。日本へは平安時代以来ペットとして輸入され、貴族等に愛玩された。そのつがいを描く。華やかな彩色、細密精緻な描写が見事で、首から肩にかけての白い羽根は透明感があり、レースのように繊細。画面サイズは、福岡市美術館のカワウソ図とほぼ同寸、同じく実物写生にもとづくものだろう。落款の書体から、探幽が61歳頃に描いたと推定される出色の作品である。松方公爵家旧蔵品。

英一蝶
1652-1724(承応1−享保9)


「琴高仙人図」

 17世紀後半(江戸初期)
 130.0×43.7cm
 紙本墨画着色,掛幅装
  琴高は中国の仙人で、200年以上も遊歴したのち、水に入って龍子を捕え、また約束の日に鯉に乗って出て来るという仙術によって、弟子や人々を驚かせたという。その琴高が水中から現れた瞬間。伝統図様でなく、見返り美人のようにわずかに横顔を見せる。異色の狩野派画人として知られる一蝶は、伊豆三宅島に配流、12年におよぶ流人生活を強いられた。「朝湖」落款から、配流以前の作品と考えられ、衣の線など師の狩野安信風で、切れ味のよさをし

【日本洋画】
ジョルジュ・ビゴー
1860-1927(万延元−昭和2)


「富士(沼津江浦)」

 1885-87(明治18-20)年頃
 24.0×58.0cm
 板、油彩
 風刺画で知られるビゴーの貴重な油彩画。静岡県沼津市・江浦付近から淡島を通して富士を遠望する構図である。ビゴーは、1882-89年にかけて日本に滞在し、熱海や伊豆などを長期に渡り旅行しながら、多くのスケッチを描いた。本作は、遠景に富士を大きく描き、また前景の草むらの表現は、技術的にも優れており、風景画家ビゴーの意外な一面と力量を示すものとなっている。帰国する直前に描いたものと思われ、彼にとって日本の思い出を母国に持ち帰る目的があったと考えられる。

五姓田義松
1855-1915(安政2−大正4)


「浜離宮」

  制作年不詳
 44.0×68.5cm
 キャンヴァス、油彩
 五姓田義松は、日本人としては、初めてフランスのサロンで入選した画家である。高橋由一の影に隠れ、長らく評価されていなかったが、近年になり、その力量が認められている。本作は、浜離宮を主題としたもので、いわば「名所絵」といえるものだが、当時海外に向けて輸出していた「お土産絵」とは一線を画しており、正確なデッサンをもとに堅固な画面構成を行っている。また、前景の岩の質感表現などには、油絵具の粘り気のある性質がうまく活かされていて、フランスで評価された五姓田の技量の高さを窺わせる。

【版画】
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
1720-1778


「ローマおよびカンポ・マルツィオの地図」

 1774年頃
 121.5×75cm
 紙、エッチング
  ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージは、18世紀イタリアの版画家・建築家。ローマの都市景観画で非常な名声を博した彼は、考古学者として遺跡の図も多数残している。晩年に近い時期のこの作品には、それまで彼が景観画や考古学的著作の中で描いてきた、様々な建築や遺跡の場所が示されている。地図の番号は欄外の索引と対応しており、その場所がどの作品集に入っているのか、一目で分かるようになっている。南を上にして描かれているのは、今日の通常の地図とは逆である。これは北からローマに入ってくる外国人に、大輪の花のように拡がる都市のイメージを与えたことであろう。

マルコ・リッチ
1676-1730


「神殿とゴシック教会のある廃墟の眺め」

 1725年頃
 39.7×31.6cm
 紙、エッチング
  マルコ・リッチは17世紀から18世紀にかけて活躍した、イタリアの画家、版画家。ヴェネツィアの北、ベッルーノで生まれ、画家であった叔父セバスティアーノの許で修行を積んだらしい。均衡の取れた構図を持つ静謐な風景画、特に古代ローマの遺跡を自由に組み合わせた綺想画の領域で知られている。本作品とは左右が逆になっている油彩画があることから、油彩よりやや遅れて制作されたのが、この版画だと考えられる。画面右にある、溝付の柱を持つ神殿の廃墟やスフィンクス、破損した水盤、また画面左の巨大な壷などは、リッチが好んで用いた舞台装置である。リッチによる銅版画は33点が知られており、そのうち20点がリッチの没した直後、1730年に刊行されている。本作品の画面右上にある「9」という番号は、この版画集に所収の際の番号だと思われる。

ヨハネス・ライシャー
1625頃-1675以降
アントーニ・ワーテルロー
1609-1690


「古城」

 1660年以前
 8.8×10.2cm
 紙、エッチング
 ともにオランダに生まれの二人の作家による、共作の版画作品。ワーテルローはアムステルダムを中心に活動した画家で、素描とエッチングの制作で知られる。ライシャーはオランダからドイツに移り、ザクセンの宮廷画家を務めた。かつて堅牢な建物であったことをうかがわせる古城は、現在オランダの歴史的建造物として有名な、ハールレム北方にあるブレデローデ城の廃墟と考えられている。

アドリアーン・ファン・オスターデ
1610-1685

「釣り人たち」

 1653年頃
 11.2×16.3cm
 紙、エッチング、ドライポイント
 オランダの風俗画家として知られるオスターデは、生涯に50点のエッチングを制作した。中期に描かれたこの作品は、オスターデ唯一の風景版画とされる。画面中央で釣り糸を垂れる男性と、それを背後で見守る子ども。この二人がオランダの田舎の風景に溶け込み、親密な空間を作り出している。《納屋》に続き、当館で2作目のオスターデ作品である。

安田雷洲
19世紀前半

「東海道五十三駅」

 1844(弘化元)年
 4.3×10.1cm(江戸日本橋)ほか
 紙、銅板、56枚

「江戸日本橋」「さかほ川より小田原を見る景」

「するがのくに よ志ハらひたりにふしを見る景」「おかへ」

「はままつ」「ふた川 火打坂」

「ちりう」「四日市」
  江戸の洋風画家・雷洲を代表する銅版画シリーズ。浮世絵の東海道五十三次に想を得たものであるが、場面の選び方は独創的で、透視遠近法を強調した低い視点による空間構成や、山容、樹木、雲などの銅版画特有の表現が、画面に不思議な異国情緒をもたらしている。西洋画法を取り入れた独特の風景表現は秀逸で、このような表現が、江戸時代に達成されていたのは驚きである。

2006年新収蔵品

2005年新収蔵品

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