新収蔵品
【日本画】 |
小林清親 1847-1915(弘化4-大正4) | |
「川中島合戦図屏風 (裏:龍虎墨竹図)」 1910(明治43)年 各166.0×358.8cm 表:絹本金地着色 裏:紙本墨画淡彩、六曲一双屏風 |
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清親晩年の肉筆画―これまでに類例のない大作で、貴重な新発見作品。武田信玄・上杉謙信の川中島合戦に取材するが、その画風は独創的。陰影をほどこしたユーモラスな人物表現には、錦絵漫画で培った清親の画歴の片鱗をのぞかせる。その表現は、現代人をも引き込む魅力をもっている。裏には、光を意識した水墨による大胆な龍虎図も描かれた豪華な仕立ての屏風。清親は幕臣として明治初年に静岡に身を寄せた静岡ゆかりの画家。《東京名所図》などの風景版画で名を高めた明治の浮世絵師。 |
【日本洋画】 |
徳川慶喜 1837-1913(天保8-大正2) | ![]() |
「風景」 1868-77年(明治初期)頃 31.0×45.0cm 紙、油彩 山梨尚彦氏寄贈 |
徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が描いた油彩画。最近の調査で、慶喜真筆であることが分かった。厚紙に手製の油絵具で描かれている。風景が描かれた場所など詳しいことは、分かっていないが、慶喜は自ら写真を多く撮影したので、それらが組み合わせられて、実際にはない理想の風景が描かれた可能性がある。明治初期の油彩画の源流を探ることのできる貴重な作品であり、歴史資料でもある。 |
川村清雄 1852-1934(嘉永5-昭和9) | ![]() |
「水辺」 1899(明治32)年頃 24.9×55.3cm 板、油彩 吉岡和子氏寄贈 |
川村清雄は、日本の風土や伝統に即した、日本独自の油彩画を描こうとし、様々な油彩技法を改良、開発した。本品は、その卓越した技量や制作の過程をよく示すものである。画題も東洋風であり、小品ながら川村作品の特性がよく出ている。サインの形状からみて、画家の中期から後期の作品と思われる。 |
小栗哲郎 1904-2000(明治37-平成12) | ![]() |
「裏のみかん山」 1968(昭和43)年頃 45.6×53.2cm キャンヴァス、油彩 小栗悠嗣氏寄贈 |
静岡市内のアトリエ近くにある山を淡々と描いた佳品。掛川出身の作者は戦前の春陽会に参加し、中川一政や石井鶴三らとともに活躍した。第二次大戦を機に静岡に戻り、中川雄太郎らと写実派協会を結成、地元画壇の指導的存在のひとりとなる。その後半世紀にわたって、本作にみられるような手堅く穏やかな技法で静岡の風景を描き続けた。 |
【西洋絵画】 |
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 1720-1778 | ![]() |
「納骨堂」 1742年頃? 40.2×27.8cm 紙、エッチング |
ピラネージ20代初期の作品である。古代ローマの空想の納骨堂を、廃墟になった姿で描き出し、ここに崩壊した建築のモチーフやスフィンクス等を散りばめている。このような廃墟のモチーフは、既に当館に収蔵されているマルコ・リッチの≪神殿とゴシック聖堂のある廃墟の眺め≫のような作品からの影響だと思われる。本作品には、後年の圧倒的な迫力は無いものの、未だ将来の先行きも定かでない若き作者の、新鮮で震えるようなタッチを見て取ることが出来る。 |
小池一誠
1940-(昭和15-) | ![]() |
「No.1 石」 1969(昭和44)年 約130×約110×約40(展示した状態で) 石 |
1960代後半、石子順造をはじめとする当時の先鋭的な評論家や美術家の間で「表現とは何か」という問題意識が高まっていた。小池は、人間が石を素材にして主体的に造形物を作リ出すのではなく、人間も石と同じ世界の一部ととらえ、その人間が自然とどう関わりあえるかという意識に基づいて表現活動を行った。藁科川で見つけた大きな石を、まるで柔らかいかまぼこか何かであるかのように見事に切ってしまったこの作品もまた、作家が自然と関わりあった行為の痕跡であるといえる。 |
鈴木慶則 1936-(昭和11-) | ![]() |
「非在のタブロー(マグリットによる)」 1967(昭和42)年 122.0×96.5×4.6cm キャンヴァス、油彩 |
左半分にはルネ・マグリットの絵画《人類》が、原物をわずかに違え、縦方向に大きくトリミングされて写されている。一方、右側にはスタンプや釘にいたるまで本物そっくりにキャンヴァスの裏側が描かれている。名画から原物の絵画的価値を剥ぎ取り、素(す)のイメージを露出させることに加え、展覧会場では決して表に出ることのないキャンヴァスの裏側を見せるアイロニーによって、固定化した絵画や展覧会の制度に疑問を投げかけている。 |
鈴木慶則 1936-(昭和11-) | ![]() |
「非在のタブロー(キリコによる)」 1967(昭和42)年 101.8×82.0×8.0cm イーゼル251.2×85.4cm キャンヴァス、油彩、木 |
写し取られたジョルジオ・デ・キリコの絵画《預言者》の図像イメージは、巧妙に現物とは図像の配置が違えられている。作家の仕掛けにより、本作品に向き合う鑑賞者は、原物のキリコの絵画の中で人物がイーゼルの上の黒板に向き合うように、現実空間に再現されたイーゼルと絵画とに対峙(たいじ)することになる。まるで絵画の中の虚構の空間が目の前に出現したかのような錯覚を覚え、虚像と実像の転倒に困惑させられるのである。 |
丹羽勝次
1931-(昭和6-) | ![]() |
「箱シリーズ '68」 1968(昭和43)年 148.5×92.0×5.0cm プリント合板、縄 |
人間の眼の錯覚を利用して、二次元のイメージを三次元の立体に見せかけた作品。表面に取り付けられた梱包用の紐によって、立体感はいっそう際出っている。丹羽は1968年から69年にかけて同様の箱をテーマにしたヴァリエーションを数点発表しているが、いずれも三次元空間を二次元化する技法である遠近法を逆用することによって、絵画のメカニズムそのものをあらわにした作品であるといえる。 |
前田守一 1932-(昭和7-) | ![]() |
「遠近のものさし(折り尺)」 1967(昭和42)年 65.7×493.0×3.8cm(広げた状態) プラスティック、塗料 |
平面上に虚構の空間を作りだす技法である遠近法を、ものさしに置き換えて、現実の空間に出現させたものである。ただし、ものさしに書き込まれた目盛りや数字は実体に基づくものではなく、イメージに過ぎない。近代西洋の世界観や絵画を象徴する遠近法を、ものさしという日常的な物に置き換えた点で美術を日常へと下降させようとする意識がうかがえると同時に、作品が示す不確かな目盛りや数字は、視覚がいかにあいまいかを提示している。 |
前田守一 1932-(昭和7-) | ![]() |
「遠近のものさし」 1967(昭和42)年 89.0×139.3×2.9cm プラスティック、塗料 |
白いプラスティック素材で出来たこのものさしは、目盛りの数字が増えていくにしたがって、ものさしの幅と目盛りの幅とが次第に広がっている。一方のくるりと湾曲した部分から覗いている裏面にも、おなじく目盛りがふられているが、こちらは表面とは反対に、目盛りの数字が増えるにしたがってものさしの幅と目盛りの幅とが次第に狭まっている。作家の意識は、近代西洋の世界観や絵画を象徴する遠近法そのものを問題にすることにあり、それによって表現とは、絵画とは何かを問うている。 |
作品収集の方針と特色
主な収蔵品
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