O:東洋 Orient
日本以外の東洋世界も、熟年を過ぎたロダンに新たな刺激をもたらした。それは、アジア諸国由来の美術作品の収集と、東洋からやって来たダンサーとの出会いによるものである。
1889年のパリ万国博覧会ではジャワのダンサーの、1906年のマルセイユ植民地博覧会ではカンボジアのダンサーのパフォーマンスと出会ったことによって、多くの素描や水彩画が生まれた。特に、後者を描いた作品は、晩年のロダン作品の中でも秀逸である。モデルの動きを捉えるために、彼女たちから視線を離すことなく、従って紙に目をやらずに描かれた一連の作品は、躍動感と即興性に満ちた近代的なデッサンの幕開けとなった。
1913年には、『アルス・アジアティカ』誌から、マドラス博物館の彫刻についての解説を依頼され、「シヴァのダンス」を執筆した。 |
オーギュスト・ロダン
《正面向きカンボジアの踊り子》
1906年 ロダン美術館 |