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研究ノート
ローマ開催日本美術展覧会出品作−

松岡映丘《今昔ものがたり 伊勢図》

森 充代

 昨年度に新しく収蔵された作品の中から、近代日本画の注目作品《今昔ものがたり 伊勢図》を紹介したい。官展におけるやまと絵系の中心画家・松岡映丘の手になる掛幅である。「昭和四年秋 映丘繪」の落款を持つとおり、描かれてから70年以上の時を経ているが、色彩は驚くほど鮮麗で、当初の華やかな姿を生き生きと保ち続けている。昭和5年(1930)にローマで開催された日本美術展覧会に出品され、その後所在不明とされていたが、縁を得て当館にご寄贈いただくこととなり、本年春の新収蔵品展にて再お披露目を迎えた。

 主題は、「今昔物語」中の和歌にまつわる説話のひとつ。醍醐天皇は、皇子の御袴着の儀式のために屏風を作らせたが、そこに書き込むための和歌が一首足りないことに気付く。急遽、歌人として名高い伊勢御息所のもとへ藤原伊衡(これひら)をつかわして詠進を求めたところ、伊勢は、突然のことに困惑しつつもすばらしい歌を詠み、奉った。描かれる場面は、使者の伊衡が伊勢の屋敷を訪れて歌を待つところである。右上の、屏風と几帳に囲まれて紙と筆を手にする女性が伊勢、御簾をはさんで画面中央に座るのが伊衡で、屋敷の女房らに酒などを勧められ、もてなされている。折しも三月ごろのこと、庭前には桜が咲き誇る。

 松岡映丘(明治14―昭和13/1881―1938)は、伝統的なやまと絵を近代絵画として再生させることに尽力した画家である。古典文学や有職故実をよく学び、絵巻の研究にも熱心であり、その成果は本作にもよく表れている。屋根などを取り払って室内の様子を俯瞰的に捉える伝統的な吹抜屋台の手法を用い、庭から伊勢のいる屋敷奥までを一画面で見渡すことができる。面貌表現は現実感を意識してか引目鉤鼻ではないが、後ろ向きの女童の極端に小さな頭部などは源氏物語絵巻などに見られる姿に近く、その型を踏襲している。そもそも横長画面の採用自体が、絵巻風の構成を意識してのことであろう。

 有職故実の研究に基づきつつ細部描写もきわめて丁寧になされ、細々とした調度品の模様に到るまでが正確に描き込まれる。伊勢を隔てる几帳やその隣の厨子棚など、奥の間の様子も丹念に描くが、それらをあえて、これもまた緻密な描写の御簾を透かして眺めさせるのも心憎い。この細緻な描写と、斜線や平行線の強調による整理整頓された構成とが相俟って、画面全体は極めて端正な隙のない印象を与えている。

 一方、物語の内容にも即応しており、繰り返し述べられる伊勢および伊衡の容姿や人柄の大変魅力的な様、伊勢の住まいの雅趣に富む様子などが、視覚的イメージとしてよく表現される。伊勢はたおやかに座る姿が美しく、落ち着いた色合いの衣はその奥ゆかしさを思わせる。ほのかに酔いがまわりかけた伊衡の優雅な風情は、御簾越しに女房が見とれるほどである。また、手入れの行き届いた屋敷のすばらしさは、「板敷は鏡のように磨き立てられ、人の姿がすっかり映って見える」1)とあるとおり、衣や敷物、御簾などの色がつややかな板敷に映り込む描写でも示される。物語の記述をなぞるものとはいえ、鏡像の表現は日本画では大変珍しいものだろう。

 物語の記述に忠実な描写以外にも、その内容を表すものとして、色彩と画面構成とが大きな役割を果たしている。屋敷の主で身分の最も高い伊勢御息所は、画中空間の最も奥、画面右上に座し、場は、鮮明な強い色彩で塗りこめられた屏風と几帳で飾られる。その左下、御簾で仕切られた一段外側の空間には、伊勢よりも年若であろう3人が集い、衣などの色彩はより淡く軽やかになっており、さらにその左下、几帳を隔てた外側の色数の少ない部分は、簀子から庭への空間となる。つまり、画面右上から左下へと、吹抜屋台を用いつつ明快に仕切られた3つの空間には階層が設けられており、その階層の序列は斜めの上下方向と色彩の強弱によって補強され、視覚的にも明示されるのである。

 これらの、対角線や平行線を強調した画面作りや緻密な描写、豊かな色彩、それを援用した厳格な画面構成、などの諸要素は、作品の謹直さや端正さといった特徴を際立たせる。これは映丘の作品全般に看取できる特徴でもあるが、時に、このあまりに隙のない作風は、情緒的な物足りなさを感じさせてしまうこともある。しかし、この作品においては、主題となる物語の内容自体、登場人物すべてが心配りの行き届いた立ち居振舞いを見せ、理知的、かつ典雅な雰囲気で満たされており、それはそのまま映丘作品の持つ特質と通うものといえよう。その意味で、映丘らしい理知的な画面構成と豊麗な色彩とが、物語と相互作用を持ち、内容を盛り上げ、より効果的に表現した好例といえるだろう。

 この作品が初出品されたローマ開催日本美術展覧会は、昭和5年4月26日から6月1日までパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーネを会場として行なわれたもので、院展官展を問わず、当時画壇で活躍する第一線の日本画家たちが新作や近作を発表した大規模な展覧会であった。企画、後援は大倉財閥の総帥・大倉喜七郎、運営には横山大観があたっている。日本とイタリアを取り巻く政治的な状況や思惑が見え隠れするにしても、同時代の日本画が海外でまとまって公開される晴れの舞台である。画家たちは相当の意気込みでのぞんだに違いない。草薙奈津子氏による最新の調査によると2)出品作家は80名、作品総数は168件204点にのぼり、横山大観の《夜桜》《瀟湘八景》、前田青邨《洞窟の頼朝》(いずれも大倉集古館蔵) 、速水御舟《名樹散椿》(山種美術館蔵、重要文化財)など、今日それぞれの代表作として名高い力作の数々が含まれる。イタリア皇帝やムッソリーニ首相も来訪し、現地の新聞には好意的な批評が多く掲載され、会期中16万6500人もの観客が訪れたといわれている。

 《今昔ものがたり 伊勢図》3)は、松岡映丘がこの展覧会に出品した4点のうちの1点で、残された会場写真にも、大きな床の間に掛けられた堂々たる姿を確認することができる4)。映丘の作風と主題とが見事に適合し、その代表作といってもよい華麗な作品、ローマの観客を魅了したことだろう。今後は当館にて多くの方々にご覧いただき、その魅力を堪能していただきたい。
(当館学芸員)

松岡映丘《今昔ものがたり 伊勢図》 絹本着色  掛幅装 85.5×143.3cm

1) 『日本古典文学全集23 今昔物語集三』(小学館 昭和49年)p.361書き下し文より引用。
2) 草薙奈津子「[資料紹介]一九三〇年羅馬開催 日本美術展出品作品に関して」『近代画説』11(明治美術学会 平成14年12月)
3) 展覧会を記念して作られた豪華図録での作品名は《伊衡之少将》であるが、映丘自筆の箱書きに従い、改めた。
箱書き:表「今昔ものがた里伊勢図」 裏「昭和四年秋 映丘作并題「W」(朱文方印)」
4) 白黒写真のため詳細は定かでないが、少なくとも表具の裂は現状と異なるようである。なお、会場は畳が敷かれたり床の間がしつらえられたりと、日本画の展示にふさわしいよう本格的な内装が施されていた。

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