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研究ノート「彫刻を触って鑑賞するプログラム」をめぐって 南 美幸
 静岡県立美術館のアネックスとして誕生したロダン館は、1994年(平成6)年3月に開館した。今年は開館10周年という節目の年に当たる。ロダン館には、オーギュスト・ロダンと彼に影響を与えたそれ以前の彫刻作品が38点、そして本館とロダン館を結ぶブリッジ・ギャラリーには13点の彫像が、常時展示されている。

 ロダン館開館と同時に、当館は視覚障害者が彫刻作品に直接触れて鑑賞する体験プログラムを試行的に実施し、1996(平成8)年からは本格的に開始した。この10年間で美術館をめぐる社会的状況は変化し、公的機関やパブリックスペースにおけるバリアフリー対策がますます求められ、そうした要求に応えるべく美術館も日々努力している。しかしながら、ソフト面における拡充は一朝一夕にはできない。以下は、当館の「彫刻を触って鑑賞するプログラム」をめぐる課題と現状の概括である。

現状把握と問題点
 
当館の「彫刻を触って鑑賞するプログラム」は、鑑賞者の作品鑑賞を案内するガイド役、そして作品鑑賞がスムーズに行なわれるようにサポートするアシスタント役が、チームを組んで行なう。学芸員とともに、こうしたガイドとアシスタントを務めるのは、ボランティアである。従来「彫刻を触って鑑賞するプログラム」は、来館者と美術館とを結ぶ重要な基本活動の一つとして、全ボランティアが対応可能なサービスであると位置づけられてきた。しかし、試験的実施以来すでに10年が経過し、「充実した作品鑑賞」という視点からプログラムを改めて見直したとき、以下のような問題点が浮き彫りになってきた。

 まず問題の根本は、専門スタッフの欠如と技術的なノウハウの不足に尽きる。美術館職員の中にこうしたエデュケーショナル・アプローチを行なうスペシャリストが不在であることから、「触って鑑賞するプログラム」の内容面のチェックと見直し、館内外でのその理解や普及に務めることはどうしても遅れがちになった。このプログラムを始動して以来、ボランティアへの研修は過去複数回にわたって行なわれてきたが、その内容は作品に関する講義や、プログラムの最中に注意すべき禁止事項のマニュアルが先行しがちで、肝心の「触覚による鑑賞」に対する学習や理解を深め、研鑚を積んでいく機会をもつことは中々実践できなかった。「彫刻を触って鑑賞するプログラム」は、視覚障害者が触覚によって「よりよい作品鑑賞」を行なうという自明の目的をもちながらも、水先案内人となるべき「ひと」の育成が遅れ、プログラムが「鑑賞のレベル」まで到達していないというのが、それまでの現状だったのである。

ロダン美術館の「手による鑑賞」
  当館の「触って鑑賞するプログラム」が上記のような問題を抱えながらも、解決の糸口がつかめないでいたとき、筆者はフランスの国立ロダン美術館で実施されている視覚障害者のための「手による鑑賞」をパリで経験することができた。以下に、その概略を記してみたい。

 パリのロダン美術館では、1990年から閉館日(月曜日)に視覚障害者を受け入れ、同館の障害者教育専門インストラクターで彫刻家でもあるアレクサンドル・フランソワ氏による手作りのプログラム「手による鑑賞」が行なわれている。このプログラムで最も重要視されていることは、ロダンの作品を媒介とするガイド(案内者)と鑑賞者との「対話によるコミュニケーション」であり、作品に関する知識や情報はその次の段階に置かれている。

 具体的にいうと、「触る」ことから「鑑賞」へと到達するために、形態を最も把握しやすい頭部像に始まり、次に全身像、最後に群像を鑑賞するという具合に、プログラムは漸進的に構築されているのである。この段階的鑑賞には次のようなレベル・アップの意図が隠されている。「作品の発見(描写)」→「作品の認識(解釈)」→「作品の所有(歴史的コンテクスト)」である。まず鑑賞者は、触ることによって作品を探求し、形を把握、フォルムとヴォリュームを認識する。これが「作品の発見(描写)」である。次に、作品の表情やポーズなど形から看取される感情表現の把握から、作家の意図などの理解へと進む。鑑賞者を作品の意味のレベルへと導く前段、すなわち「作品の認識(解釈)」の段階である。最後に、作品に対する感情・印象を鑑賞者自身の言葉で語る心理的アプローチ、すなわち「作品の所有」へと到る。この段階では、作家の生涯や他の作品などと比較対照させて、鑑賞作品を歴史的に位置づけ、作品の情報・知識の蓄積を図る「歴史的コンテクスト」の把握も同時に行なわれる。

 ここまで到達するために重要なのが、繰り返すが、ガイドと鑑賞者との「対話によるやり取り」であり、鑑賞者自身の言葉を引き出すことが鍵となる。言い換えれば、一方的な知識の伝達ではなく、相互の積極的な交流が必要であり、それがプログラムを実施するにあたってのガイドの基本的な心構えとなる。

プログラムの改革
 誰が、何のために、どのように、何を行なうのか。このように「触って鑑賞するプログラム」を問い直したとき、「視覚障害者が作品をよりよく鑑賞する」という目的が大前提となる。このことを再度踏まえた上で、当館は1年半前から新たな取り組みを開始した。300名以上からなるボランティアの中から、このプログラムに興味を持って取り組んでいただける専門の「タッチ・ツアー・ガイド」を募集し、計8回(延べ13回)の研修を行なった(現在18名)。

 研修の内容は以下のとおりである。「触覚による作品鑑賞の方法」−その実践とテクニックは、頭部像から群像へと進むロダン美術館の手法を参照した。幸い、このプログラムのために当館が開放している作品12点のうち8点がロダンの彫刻である。予め、ギリシア彫刻の石膏レプリカを触って学習・記憶することによって、ロダン作品との違いを体験することから始めた。そして実際に作品を鑑賞する際に重要課題としたのが、「言葉による表現/表現力を養う」トレーニングである。普段何気なく使っている言葉が、果たして視覚に障害をもつ方にも、作品を目で見ることができる人にも通じる言葉であるのか、自分で納得・消化できた言葉であるのか、繰り返し質問した。そして同時に、彫刻全般や個々の作家・作品に対する知識を培っていった。

 言葉に拘泥するのはロダン美術館の例からも分かるとおり、それがガイドと鑑賞者のコミュニケーション・ツールだからである。作品を媒介とするコミュニケーションの場の成立の可否は、その場で適切な言葉が語られること、すなわちガイドと鑑賞者とが同じ土俵に立って共通言語で話すことができるかどうかにかかっている。

最後に
 とはいうものの、プログラムのあり方は、鑑賞者の障害の種類や度合い(視覚以外の障害を併せもつ方も多い)、性格によって様々である。当館では、鑑賞者の障害の程度や美術館経験の有無、プログラムにかけられる時間などによってケース・バイ・ケースのプログラムを立てるようにしており、そのためにも予約を原則としている。タッチ・ツアー・ガイドが、各ケースによってきめの細かいプログラムを立て、それをマン・ツー・マンで実践することができるようになることが理想である。

 ロダン美術館の「手による鑑賞」の目的は、(1)ロダンの彫刻を介して彼の活動を見出すこと、(2)触覚の記憶を発展させ、それについて考察すること、(3)視覚健常者の現代における視覚的記憶の意味について再検討すること、(4)文化への門戸を開くこと、とある。これらは全て連動しているが、(3)と(4)は私たちにとって特に示唆的であると思われる。ともすると、「視覚」と「芸術鑑賞」の観点から美術館活動を展開しがちな美術館員にとって、文化と社会という幅広い視点からそれを再認識し、捉えなおす足がかりとなるように思われる。

(当館主任学芸員)
 

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