静岡県立美術館では、平成13年度より、美術館の使命(ミッション)・戦略の策定に取りかかった(註1)。そして、平成17年度より、下記に示す使命・戦略を公表し、これにもとづく改善活動を行っている。
【静岡県立美術館の使命】
静岡県立美術館は、創造的で多様性に富んだ社会を実現していくために存在します。
そのために、コレクションを基盤として、人々が美術と出会い新たな価値を見出す体験の場をより多く提供するとともに、地域をパートナーと考える経営を行い、日本の新しい公立美術館となります。 |
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当館では、平成11年度、開館以来の最低入館者数(107,977人)に低迷したこと、また、東京都の行政評価や国立美術館・博物館の独立行政法人化など、ミュージアムを取り巻く社会環境が急激に変化したことを受けて、使命・戦略の策定は、急務であるという考え方が館内に少しずつではあるが浸透した。しかし、欧米のミュージアムには使命および使命書(ミッション・ステートメント)の例があるものの、国内には参考とすべき例はほとんどなく、手探りの状態は続いた。使命とは、ミュージアムにとって如何なるものであるか、その役割と性質について、基本的なところから確認しなければならなかった。
当館では、まずスタッフによるブレーンストーミングを行い、館がかかえる問題を議論した。現在、この方法は、(財)日本博物館協会などが行う「自己点検ワークショップ」というかたちで、その手法が確立されている(註2)。使命は、ミュージアムの理念や行動指針、目指すべき方向性を示していなければならず、またそれがスタッフだけの独りよがりのものになってはならない。現在、地域連携、市民参画の必要性が叫ばれているミュージアムにとって、使命は市民や多くの利用者が、ミュージアムを身近な存在として感じ、協力・協働しようという気持ちになるようなものでなければならない。そこで、静岡県立美術館では、ベンチマーク(評価指標)にもとづく利用者調査を行い、利用者の満足度やリピート率などを分析した。この調査によって、当館の顧客層を客観的数値で把握したことで、どのような客層に支持を得ているか、あるいは美術館にとって不足している領域は何かなど、今後の対策とアクションプラン(改善計画)を立てる上での方針が明確になった。先に述べたように、使命はミュージアムの目指すべき方向性を示し、利用者や市民の理解を得られるものでなければならない。その意味で、使命策定プロセスにおける利用者調査は、不可欠である。例えば、当館の場合、展覧会における1年以内のリピート率が、70〜80パーセントと非常に高いのに対して、新規来館者率は、平均で20パーセント前後であり、考え方は様々あるとしても、やはり低いと言わざるを得ない。これは、当館の利用者の特徴を如実に示しており、展覧会の満足度が高いことも加味して判断すると、この美術館は「熱心な美術ファンに支えられた美術館」であることが分かる。しかし、そのファンの年齢層は、60〜70歳代が多く、年齢が下がるにしたがって、顧客層全体に占める割合は下がっていく。また、同伴者の調査においては、「配偶者」「両親」といった回答が多く、利用者の年齢層と来館形態とともに、高齢化が進んでいることがみてとれる。このままでは、将来的に美術館に来館する人々の高齢化が進み、利用者の減少、美術館離れが進んでいくことが懸念される。そこで、小・中・高校生をターゲットとした鑑賞に関わる事業などを実施することで、新規来館者や若年層の獲得に向けた努力をしている。今後は、「戦略広報計画指針」を明確にし、ターゲットを絞り込んだ広報や事業内容を考えていかねばならない。
さて、使命の話題に戻ると、冒頭に示した当館の使命は、従来の美術館のように、美術作品を美術史学的に展示するだけではなく、むしろ作品から鑑賞者が得られるであろう「感動や美的感性の高まり」といった、人々のライフスタイルに直結する展示や講座などを行うことを意味している。すなわち、静岡県立美術館は、人々が作品と出会うことによってしか得られない感動・知的な喜びを提供することを使命としているのである。そして、そのことによって、美術館は地域と結びつき、地域のあらゆる美的領域に関与していくことで、地域をパートナーとし、両者がメリットを共有できる社会を目指すことを約束しているのである。
そして、そのような使命にもとづいて戦略を立案している。戦略は、使命を実現するための、より具体的な道のりを示すものである。当館では、「5つの戦略目標」と「18の戦略」を掲げている。美術館の根幹であるコレクションとその展示、そしてレストランやミュージアムショップなどの付帯施設、地域連携、経営と5つの戦略目標は、いずれも美術館にとっての重要な戦略である。なかでも「A: 質の高い美術体験を提供することにより、人々の感性を磨き、生活に変化をもたらします。」という戦略は、使命に直接つながるものであり、それゆえ最初にかかげている。来館者に質の高い美的体験を提供するためには、学芸員をはじめとするスタッフの美的感性が何よりも問われるのであり、この戦略は最も重要にして、かつ最も困難、スタッフの高い能力が要求される。美術館で感動体験をした来館者は、必ずリピーターとなって、さらにそれが口コミとなって広がるはずである。つぎに、「B:コレクションを充実し、活用することで、その価値を広く明らかにします。」は、美術館の基盤であるコレクションの収集、展示、教育普及に関わる戦略である。コレクションの価値を多くの人々に知らしめることこそが、美術館の最も重要な役割なのであり、それなくして、一過性のイベントに終始することは、将来的なビジョンからすると、衰退を招くことになるであろう。コレクションの価値を高め、啓蒙することは、いわば美術館の生命線なのである。
このように、使命からブレークダウンするかたちで、戦略目標がブランチとして示されているのが、当館の「使命・戦略計画方式」(通称:ミュージアム・ナビ)である。では、この方式の策定方法と特徴は何か。
①使命策定にあたって、客観的データにもとづいた、スタッフによる検討を行い、それをオーソライズする、ボトム・アップ方式であること。
②使命−戦略目標−戦略−アクションプラン(改善計画)−指標(定量・定性)というブレークダウン方式であること。
③指標の現状値を把握するために、利用者調査を行い、客観的数値を把握すること。
簡潔に述べると、このようになるが、つぎにこの方式のメリット・デメリットについて述べてみたい。
【メリット】
①使命を最上位概念とし、それを策定するために客観的現状値、すなわち顧客のニーズ、ウォンツを分析したうえで、館内で討議するため、アクションプランを策定しやすい。PDCAサイクルをつくり、経営ツールとして活用できる。
②アクションプランの遂行によって、使命や戦略の到達度をある程度まで数値によって把握できる。もちろん、定性指標によるものは、それが困難。
③使命を明確化することで、館の方向性や方針を普及することができる。市民の理解を得るツールにできる。
【デメリット】
①客観的数値化ができない定性指標については、到達度が判然とせず、目標等を設定しにくい。学芸員の研究等は、客観的数値化がしにくい。
②使命から派生するアクションプランやその到達度を示す指標およびそれに付随する数値にばかり目を奪われ、ミュージアムの本来的意義を見失うことに陥りやすい。
このように、静岡県立美術館の使命・戦略の策定方法とプロセスを紹介してきた。使命が明確にされていなければ、ミュージアムは経営できないが、その策定にあたっては、来館者調査など客観的現状を把握することが何よりも重要である。これからのミュージアム経営は、ますます利用者のニーズをふまえた姿になっていくに違いない。
※平成18年10月には、美術館の自己点検・評価にもとづく第三者評価委員会が開催され、政策レベルのPDCAサイクルが動き始めている。
(註)
(1)使命・戦略およびベンチマークス手法の調査・研究にあたっては、佐々木亨氏(北海道大学文学部助教授)の多大なる教示と協力を得た。
(2)このワークショップは、佐々木秀彦氏(東京都歴史文化財団)によって、考案された手法である。
※本稿は、平成18年3月18日、科学技術館で開催された日本ミュージアムマネージメント学会(JMMA)研究会での発表予稿に修正を加えたものである。なお、本研究にあたっては 笹川科学研究助成(財団法人日本科学協会)があったことを記しておく。
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