アマリリス Amaryllis

2011年 冬 No.100

『アマリリス』100号の刊行に寄せて

 4×25=100——1986年春に開館した静岡県立美術館は、今年で25年目に入りました。したがって毎年4回刊行される美術館ニュース『アマリリス』も、ちょうど100号になりました。ファイルに収められたニュースをめくってみると、いまは亡き館長たちや、他の職場で活躍されている先輩・同僚たちの書かれた記事が次々と現れてきます。よく覚えている展覧会もあれば、あまり覚えていない展覧会もあります。覚えていない展覧会のとき、私は何をしていたのだろうか(これはつまらない独り言です)。
 本館、ロダン館の開館に携わった私には、懐かしい出来事が山ほどあります。しかしそれらの中で、燦さん然ぜんとバラ色に輝いているのは、それほど多くありません。ノスタルジアは、過去の経験や思い出を素晴らしいものに変える力があるといいますが、実際にはそうでもないのです。美術館というのは一度開館したら、館が存在する限り展覧会や普及の諸活動をやり続ける運命にあり、長期の工事休館でも日常の忙しさはさほど変わりません。悠長に過去を振り返っている暇などない、というのが実情です。
 ニュースを見て改めて気づくのは、かなりの数の新しい事業を考案・実施してきたことです。展覧会企画、普及イベント、ボランティア、地域連携、そして評価事業等々、いくつもあります。総じて感じるのは、好評な事業でも数年経つと、それを改変せざるを得ないということです。手ごたえのあるものでも、それまでと同じではいられない。無変化は停滞であり、沈下につながるからです。「変わらないために変わるのだよ」と言った知人がいましたが、自分たちが絶対堅持したいものを失わないためには、変化することが不可欠なのでしょう。
 美術館にとって最大の強敵は誰なのでしょうか。美術館の職員がこれは重要で尊いと考えていても、周囲の人々がそう感じていなければ、両者の間にはいきおい乖かい離り が生じます。よく言われることですが、社会ニーズの変化はやたらと速く、その変化に気づき、乏しい知恵とお金で対応しようとしても、その間に社会ニーズの方はまた別のものになってしまいます。美術館を時流に合ったものとし、その一方で文化財の保全や学術貢献などを堅持するには、たんなる美術館の運営ではなく経営の力が求められます。
 どうやら堅苦しいことを書いているようですが、美術館には愉しいことが幾つもあります。愉しいことが一つ終わったら、次の愉しいことを考え出します。展覧会や普及の企画を受け持つ学芸部門には、自由と議論が必要です。大きいことも小さいことも、時間が取れれば、話し合った方がよいでしょう。面倒でも「急がば回れ」です。これからも「相互に見守り、関わっていく」の精神で行きたいと思います。
(当館学芸部長 小針由紀隆)

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