平成23年、静岡県立美術館コレクションに新たな富士山絵画が加わった。富士山を題材にした絵画の系譜において貴重な作品である。収蔵を機に作品紹介するとともに、その特徴、美術史的な意味について整理しておきたい。
(注)《富士三保松原図屏風》
室町時代(16世紀中頃)
紙本金地着色・六曲一双屏風
(各)137.5×329.4cm
平成22年度 はごろもフーズ株式会社寄贈 静岡県立美術館蔵
富士山と三保松原を組み合わせて描く絵画は、伝統的に描き継がれてきたが、本作品は屏風作品としては現存最古の作例である。右隻に富士山、左隻から右隻にかけ三保松原を大きく配し、左隻中央奥に清見寺、左端に清水湊・木橋のかかる巴川を描くという構図である。山間の桜や、巴川の岸辺に見られる芽吹きの柳の描写から季節は春と思われ、のどかな雰囲気が画面にただよっている。画面上部は金箔地で処理されるが、盛り上げによって装飾された金雲を施している。画面中央や下部にも金雲を配し、画面に装飾的効果をあたえている。また、地面の部分には、銀砂子が蒔かれている。現在は黒変しているが、当初は豪奢な雰囲気を与えていたものと思われる。右隻の富士山は白一色で雄大に描かれる。雪に覆われた状を表現したのであろう。山頂は三つの峰をもつ伝統的な「三峰型」で表されている。富士山の前景の山間に描かれた寺院・建築物については特定できない。右にある建造物を蒲原城とする見方もあるが、特定の建造物を意識して描いたものかどうかも含め、今後の課題としたい。視線を下方の海岸に転じると、そこには製塩を営む人々の姿、また海上には舟を浮かべる人々の姿がみえる。これらの人物は素朴な描写であるが、かえってそれが、画面にのどかな情趣を醸し出している。海には線描を丹念に加え、波の動きを表現しようした意図が見える。また、画面下方に両隻にわたって描かれた三保松原の表現は印象的である。群生する松林を前後の奥行きも意識しながら、巧みに描いている。類型的でない自由な描法により、味わいある表現が生み出されたといえよう。なお、砂嘴の先端に単独の松が描かれるが、「羽衣の松」を表したものと解される。左隻中央奥には、三重塔を含む清見寺が描かれるが、その下方には清見が関が、木戸と番所らしき建物により表される。巴川と思われる川には木橋がかかり、遊山に出かける侍女連れの婦人の姿が描かれる。その着物の赤は画面にアクセントを与えている。江尻宿と思われる場所には巡礼の旅人も描かれ、中世の東海道ののどかな旅の風情を今に伝えている。江尻宿の建造物も丹念に描き分けられ、細部にも画家のこだわりが見て取れる。
近世初期の名所風俗図と比較すると、人物は少なく、遊興的な表現は抑制されている。彩色上の特徴、金箔・銀砂子の加飾法、それらを含めた素朴な画風から見て、室町時代末期(16世紀中頃)の作で、筆者は狩野や土佐といった正系に属さない絵師と考えられている。
さて、本作に先行する富士山と三保松原を組み合わせた絵画の作例としては、室町時代の水墨画が知られる。仲安真康《富嶽図》(15世紀中頃・根津美術館蔵)は、室町中期の画僧(鎌倉建長寺の僧・鎌倉における水墨画派の祖)による作品で、近景に独特の表現を見せる三保松原が描かれている。また、伝雪舟《富士三保清見寺図》(16世紀初・永青文庫蔵)は重要な作品である。狩野派を中心に多くの近世の絵師が模写をおこない、古典としてその画風を学ぼうと努めたことが知られる。特に構図において、富士山を描く際の大きな規範となり、その「型」が継承されたことは特筆される。
また、この期の絵画として注目したいのは《富士参詣曼荼羅図》(16世紀中頃・富士山本宮浅間大社蔵)である。参詣曼荼羅であるが、その画風や画面構成などにおいて異色の作品である。清見寺・三保松原・駿河湾を前景に、本宮・村山の浅間神社を経て山頂に至る雄大な景観を描く。頂は三峰に分かれ、右から大日・阿弥陀・薬師仏が描かれる。良質の絵具による彩色、正確で精細な墨描は、専門画工による高度な技を示す。右下隅に「元信」の壺印がみえ、狩野元信指揮下の狩野派の有力画人の手になるものと考えられている。特に画面下方に、三保松原、清見寺および清見が関が描き加えられていることに注目したい。制作時期も、《富士三保松原図屏風》と大きく隔たらない時期と考えられている。狩野派の有力画人による《富士参詣曼荼羅》が三保松原、清見寺を含めた図として描かれたのは、この時期の何らかの趣向を示すものであり、《富士三保松原図屏風》の制作と何らかの関係があるものと考えられる。
さて、その後の展開について見ると、江戸時代初期の狩野探幽はじめ狩野派の絵師は、室町時代に展開した水墨による淡雅な趣きの作品を継承し、さらに発展させようと工夫をこらした。狩野山雪《富士三保松原図屏風》(静岡県立美術館蔵)は、伝雪舟《富士三保清見寺図》の図様を継承したものであるが、富士山の稜線の美しさを強調した画面構成や、清見寺の伽藍配置などの正確な描写などは山雪の創意によるものである。実感した景観体験を絵に取り込もうとする方向性が推し進められている。また、注目したいのは「名所風俗図屏風」の隆盛である。室町時代末期よりその先行作が制作されるようになるが、名所を題材とした金地着色の華やかな屏風絵が民間絵師によって盛んに描かれるのは、寛永年間(1624〜44)頃からのようだ。歌枕の伝統をもたない厳島がここでようやく独立した名所として絵画化されるようになったのは象徴的で、和歌のイメージは希薄となり、寺社が多く描かれることからもわかるように、美しい風景に、神仏が宿る聖地としてのイメージが加えられている。画中には、旅人や働く人々など名所に集う人物の描写を交え、その風俗を描き出そうとする姿勢が強くなっている。さらには、遊興的な雰囲気を盛り込むなど、見るものを参詣行楽に誘うかのように、名所の賑わいを表現した作品も少なくない。こうした作品は、やがて定型化され多くの類作を生むが、すやり霞の中に名所全景を俯瞰して捉える屏風絵のイメージが、名所イメージとして引き継がれたであろうことは想像に難くない。
江戸時代には、《厳島・三保松原図屏風》のように2つの名所を組み合わせた作例が多いが、《富士三保松原図屏風》は、こうした名所風俗図屏風の原初的な形を示すものとして貴重である。富士三保松原を題材にした名所風俗図の系譜の中で、さらに検討を加えていきたい。また、本屏風については、制作時代とも関連し、その制作背景(図様の選択・発注主)は興味深い。その点についても今後の課題としたい。
( いいだ まこと 当館学芸課長)
《富士参詣曼荼羅図》
富士山本宮浅間大社蔵
(注)本作品は「室町時代の屏風絵」展(東京国立博物館・1989年)で出品された後、『国華』で紹介され(『国華』1134号(解説:宮島新一)1990年)、下記のとおり、富士山の絵画の重要作品として出品、図版掲載されている。
出品歴:「日本の心 富士の美」 名古屋市博物館ほか 1998年
「描かれた東海道」 静岡県立美術館 2001年
「心の風景 名所絵の世界」 静岡県立美術館 2007年
掲載歴:『日本の美 富士』 美術年鑑社 2000年
『美JAPAN 富士山』 四季出版 2005年
『三保の松原・美の世界』 NPO法人 三保の松原・羽衣村 2010年