春に上野動物園に行った。写真はその時にみつけたキャプション(題だいせん簽または解説板)である。最近の動物園業界ではこういった手作り感覚のキャプションが流行している。美術館と動物園のキャプションを比べると、動物園の展示物(動物)は生きており、美術館の展示物(美術品)は生きていないということにあらためて気づかされる。
むろん熱心な美術ファンの多くは作品がその時々で違った表情を見せることを知っているけれど、それは観られる側ではなく観る側が生きて変化していることの証であろう。それに対して動物園では観られる側の方が日々変化している。
さて、なぜ筆者は動物園の話などしているのか。実はわが国においては美術館も動物園も資料を収集・保管・展示・調査研究する社会教育機関としてひとしく博物館法の下に置かれているのだ。「個」のミュージアムである美術館に対して、動物園は「種(しゅ)」のミュージアムだと言うこともできる。少なくともわが国の動物園の出発点はそういうものであった。
もっとも私たち現代人はかならずしも種(例えばツキノワグマ)だけを観に動物園に行くわけではない。特定の個体(例えばツキノワグマの「クー」)に感情移入し、その成長を見守ったりもする。動物の多くは私たちより短命であり、私たちは時にお気に入りの個体の死に涙する。一方、美術館においては私たちの多くは作品より短命であり、作品との対話を通して時に自らを省みる。その意味では、先に「美術館の展示物(美術品)は生きていない」と書いたのは間違いなのかもしれない。作品は多くの人々の思いを背負って生き長らえていくのであろうから。
美術館は基本的に作品の不朽の価値を伝えるべく活動してきた。しかし、時代の変転に応じて日々生きて表情や意味合いを変えていく「作品の今」を捉えたキャプションなどもこれからは求められるのかもしれない。
(当館学芸員 村上敬)