この小品に描かれているのは、スイスとの国境に近いジュラ地方の山村風景と言われている。若い頃からルソーは、画材を背負いフランス各地の山野を巡り歩き、名もない片田舎の風景を好んで描いていた。乾いた地面の広がり、急勾配の草葺き屋根、不規則な形をみせる山々は、ルソーの心を強く捉えたのだろう。画家の関心は、変化と起伏にとんだ現実の眺めにあり、過去の風景画家たちが魅了された古代神話の世界からは完全に遠ざかっている。近年ではオーヴェルニュ地方(フランス中南部)の山村風景とする意見も提出されている。
《ジュラ地方、草葺き屋根の家》
1834年頃
22.9×32.1
キャンヴァスに貼った紙、油彩
文晁は江戸後期に渡辺崋山ら多くの門人を輩出するなど、江戸画壇の重鎮として活躍した文人画家。本作は、文晁が晩年に到達した心象風景とでもいうべき風景画の境地で、江戸後期の富士山図の中でも傑出した作。自由な水墨のタッチによって秀麗な形の富士を描く。富士の稜線につけられた群青は大変美しく、画面の中で大きな効果をあげている。勢いある筆の線と柔らかな墨の面、さらに一状の群青の効果があいまって、江戸風の洒脱な趣きを醸し出している。文晁73歳の時の作品。
《富士山図屏風》
1835(天保6)
163.1×363.2
紙本墨画群青引、六曲一隻屏風
大久保一丘は遠州横須賀藩(小笠郡大須賀町)の藩士、お抱え絵師として江戸後期に活躍。司馬江漢に学び、真人図と呼ばれる一連の迫真的な洋風人物画に名を残す。
この作品では、明け方の光に照らし出される富士山頂に焦点を絞り、その澄明な姿を描き出す。油絵と見紛うほどの陰影と質感を持ち、雪をいただき朝日に輝く霊峰富士の雰囲気をよく伝える。江戸時代の作だが、洋風表現による近代的な構成で、数ある富士山図の中でも特異な位置を占める貴重な作例。
《富嶽明暁図》
19世紀前半(江戸後期)
95.2×48.9
絹本着色金泥、掛幅装
黒犬(父?)、白犬(母?)、五匹の小犬たちからなる犬の家族。じゃれあう小犬たちの姿が微笑ましい。目に群青、親犬の目頭と目尻および黒犬の歯茎に朱が用いられ、なまなましい表情が生み出されている。京狩野第6代の永良は31歳の若さで没。作品はほとんど残っておらず貴重な一作だ。
《親子犬図》
18世紀半ば(江戸中期)
39.5×70.8
絹本着色、掛幅装
松岡映丘は、伝統的なやまと絵を研究し、近代の日本画に復活させたことに多大な功績を残す。この作品は、昭和5年にローマで開催された「日本美術展覧会」に出品されたもの。歌人として名高い伊勢のもとに、詠進を求める帝の使者として藤原伊衡(これひら)が訪れた場面。人物の優美さ、住まいの雅趣など(姿が映り込むほど磨き込まれた板敷等)、物語の世界を忠実に表現し、細緻華麗な歴史人物画を得意とする映丘の力量が、存分に発揮されている。ローマ展以後長く行方が分からなかったが、久々に世に出た貴重な代表作。
《今昔ものがたり伊勢図》
1929(昭和4)
85.5×143.3
絹本着色、掛幅装
下村観山は、横山大観、菱田春草とともに初期院展の三羽烏として知られ、近代の日本画革新に尽力した第一世代の画家のひとり。 禅の公案に取材し、中国唐の高僧・南泉禅師が、刀を手に、捕らえた猫をかかげる場面を描く。禅師の静かな表情、斜め後ろからとらえた堂々たる立ち姿など、落ち着きのある端正な画面に仕上げている。墨のにじみをそのまま生かした猫の毛の質感は見事。落款は大正前半期のものに類似し、震えるような描線もこの期の特徴である。
《南泉斬猫図》
119.7×50.8
絹本着色
暗く重々しい画面、一見すると近寄りがたい作品と思われるが、よく観るとどこか味わいがある。鳥海は一つの作品を描くのに数ヶ月以上もかけることが多かったという。下地に明るい絵具を塗り、その上に暗い絵具を少しずつ塗り重ねていく。ざらついた表面は色彩と一体となり、大地のもつ深い色合いを引き出している。張家口は、中国河北省にある町で、鳥海は昭和14年、初めてこの地を訪れた。
《張家口》
1939(昭和41)
41.0×53.0
キャンヴァス、油彩
清水は、都市で暮らす普通の人々への共感をユーモラスに描き出す画風で知られている。本作でも、セーヌ川に釣糸をたれる人物や、橋の欄干から釣人を見下ろす人々などに、ぬくもりのある人物表現をみることができる。また、画面奥の建物(ルーヴル)、画面中央の橋(ポン・ヌフ)、そして手前を横切る道が作るジグザグの流れと、それを最前面から一気に貫いてみせる二本の巨木という画面構成には、大胆な構図を自然に見せる作者の確かな手腕を見てとることができる。さらに、本作をまとめあげる上品な中間色は、清水のフランス時代(1924〜1927)を予見させる典雅さを示しており、作品全体に品格を与えている。
《セーヌ河畔》
1924(大正13)
65.0×53.8
キャンヴァス、油彩
静岡県富士郡岩松村岩本(現富士市)に生まれる。浅井忠に学び、小山正太郎の不同舎に入る。第1回文展に《深山の夏》入選。1909(明治42)年、小島烏水らの南アルプス横断に参加した、アルピニストでもあった。1936(昭和11)年、足立源一郎、丸山晩霞、吉田博らとともに日本山岳画協会を設立。穂高岳にて消息を絶つ。本作は、この画家の現存する油彩画として希少である。登山口から見た北アルプス・常念岳の描写は、茨木の山への素朴な愛情を感じさせる。山岳画家による、安曇野風景画の原型とも言える作品である。
《初夏の常念岳》
1935(昭和10)
45.7×53.0
キャンヴァス、油彩
雲の動きを紙の白地をいかしながら、透き通った朱色と薄紫色で表わす。鉛筆による下書きは山の輪郭線だけで、水彩による素早い描写は名人「技」というにふさわしい。それでいて、雲は立体的に捉えられ、浅井の対象を捉える力量が示されている。洋画家・黒田重太郎の旧蔵品。
《雲》
1903-07(明治36ー40)
28.5×44.3
紙、水彩