ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージは、18世紀イタリアの版画家。出身はヴェネツィアだがローマに魅せられ、20代半ばに移住してからは、終生この地で活動し続けた。ローマの都市景観図で非常な名声を博した彼は、考古学者としての顔も持っており、実際の測量に基づく遺跡の図を多数残している。この作品は、古代ローマの練兵場だったカンプス・マルティウスの復元という、野心的な試みである。発掘等の成果を可能な限り反映させてあるのだが、不明な箇所は彼の想像で補われている。厳密な考証と幻想とが混在する、ピラネージの創造の一側面がうかがわれる。
《イクノグラフィア
(古代都市カンプス・
マルティウスのプラン)》
1757-62
134.2×116.7
紙、エッチング
晩年のルーセルは、ニンフ(精霊)の現れる森や浴女たちの戯れる泉など、神話的な風景を好んで描いた。彼は、重さを感じさせないはかなげな量塊表現と、こまやかで震えるような筆致を用い、この世ならぬかろやかさや、精妙な光の調子などを見事に表現している。本作は、セザンヌやルオーの評価をもたらした近代フランスの大画商ヴォラールの企画による版画集のために制作された。
「風景」
1900頃
40.6×52.7他
紙、リトグラフ・多色刷り
《海岸の人物》 |
《風景の中の赤いドレスの女》 |
《縞の外套の女》 |
《水浴者たち》 |
《ニンフの後ろで遊ぶキューピッド》 |
《田園風景の中の女たち》 |
国芳は幕末期の浮世絵をリードした異色の絵師。大胆な画面構成の武者絵のほか、洋風表現を取り入れた風景画の分野でも特筆すべき業績をのこした。本作は、広重・保永堂版東海道の人気に触発され、国芳が世に問うた東海道風景版画シリーズ。数宿づつを1図にまとめた12図からなる。駅名のほか付近の名所旧跡や名物も記されており、道中記を絵画化しようとした国芳の制作意図がうかがえる。後に流行を見る広重東海道シリーズとは一線を画す作といえよう。
《東海道五拾三駅・五宿名所 由井〜鞠子》 1830頃(天保前期) 24.8×36.8 紙、木版、色摺 大判錦絵 |
《東海道五拾三駅・四宿名所 岡部〜金谷》 1830頃(天保前期) 24.8×36.8 紙、木版、色摺 大判錦絵 |
《上海の裏町》
1945(昭和20)
38×28
紙、木版
伊藤は、静岡県志太郡大井川町に生まれた、本県ゆかりの版画家。昭和24年(1949)、静岡県版画協会の創立に参加するなど、静岡の創作版画の振興に寄与した作家である。
昭和14年(1939)、伊藤は従軍記者として上海へ渡航している。本作は、その印象をもとに制作された作品である。上海の裏町を木版画ならではのマティエール(質感)で描いており、ざらついた壁の表現は、後の作品に見られる重厚さを予見させるものである。また、ごく単純化された形態と色面は、画面全体に独特の深みを与えており、上海という街が伊藤の画業に及ぼした多大な影響を思わせ興味深い。
《窓》 1953(昭和28) 70×52 紙、木版 |
《新開地の女》 1954(昭和29) 46×35 紙、木版 |
《実のある話》 1975(昭和50) 55×43 紙、木版 |
《イシスとホルス》 1979(昭和54) 75×45 紙、木版 |
《風媒花》 1988(昭和63) 48×75 紙、木版 |
《上海の裏町》(1945)や《窓》(1953)にみられるように、伊藤の初期作品は、簡素で平面的な表現が特徴となっている。やがて伊藤は、中期から晩年にかけて、ざらついた質感と細かい線条を用いた表現を多用するようになった。最晩年の作品である本作では、それらに加えて、花と人物のモティーフ、伊藤作品を彩り続けた独特の鮮やかな朱色などの要素が見られ、伊藤晩年の代表作の一つであるといえる。