保存抜群の桃山後期の傑作。作者は狩野宗秀(永徳の弟)の門人。ダルマ宰相と呼ばれた高橋是清の旧蔵品で長年行方不明だったが、近年再発見され、このたび当館が購入した。主題は中国の皇帝たちの故事。右隻=帝鑑図には、唐の堯帝の善行・夏の桀王の悪行(酒池肉林)・秦の始皇帝の悪行(焚書坑儒)を描く。悪行は戒め、善行は模範であり、為政者による発注と想定される。左隻の咸陽宮は始皇帝の宮殿で、そこに展開する物語が描かれる。
《帝鑑図・咸陽宮図屏風》
17世紀初(桃山時代)
各155.8×362.6
紙本金地着色、六曲一双屏風
仏教の釈迦(中)、儒教の孔子(右)、道教の老子(左)。三つの教えが究極的には一致することを表わす主題。とくに顔の表情の描きわけが見事。筆者狩野永納は、京都で幕末まで続いた京狩野家、その第三代で『本朝画史』の著者としても知られる。そのなんと22歳時の作品で、彼の現存作品のなかで2番目に早い。父山雪から継承した人物描写には、すでに高度な筆技がしめされており、専門絵師ならではの技術水準の高さがしめされる。
《三教図》
1652(承応1)
141.1×78.5
絹本着色金泥、掛幅装
寛政10年、11年、二度に渡り富士登山をした武禅が描いた異色の富士山図。特に登山口、頂上付近は細かく描写され、登山記録画の様相が強い。丸みを帯びた富士の形は、現実とは程遠いが、現実と虚構のギャップが面白い。雲などの表現は絵画的でもあり、不思議な魅力をたたえている。
武禅は大阪の人。初め船頭を業としていたが、天目釜彫物を学び、彫金を手がけた。のち月岡雪鼎に画を学び、自ら宋元の古蹟を研究して一家を成し、山水人物を描いた。
《芙蓉峯細見之図》
1799(寛政11)頃
53.0×65.6
紙本墨画着色、掛幅装
日金山(十国峠)から望む絶景——中腹に雲がたなびく富士山と、その手前に連なる箱根の連山——が描かれた大作。画面左下に二人の人物が対照的に小さく描かれるが、その一人は作者本人なのかも知れない。通常用いられる絵絹より目の粗い布地(葛布か)に描かれた点も本図の特徴である。
雲峰は江戸の文人画家。幕府の旗本。谷文晁門の鈴木芙蓉の高弟。歌川広重の師としても知られる。また、吉原宿で活躍した郷土の文人画家・鈴木香峰の師でもある。
《日金山富嶽眺望図》
1839(天保10)
67.5×131.7
布地墨画着色、掛幅装
半香は遠州見付(現磐田市)に生まれた文人画家。渡辺崋山の高弟として幕末期に活躍した。
本作は半香41歳の時の作。半香が得意とした山水画で、点苔、樹木の表現など画面全体にわたり克明な描写がされた大作。緻密で繊細な半香特有の感覚を見せている。一方で画面構成など、晩年に多いダイナミックな表現も見せており、壮年に向かう過渡期の様相が見える。絵師の充実した技量がうかがえる山水画の優品である。
《溪山真楽図》
1844(弘化1)
150.5×70.9
紙本墨画着色、掛幅装
天竜市出身の秋野不矩、27歳時の作。大きく迂回する天竜川の姿を、秋葉山の中腹から見下ろして描く。京都に出て絵画修業にあけくれる画家の、故郷へ寄せる変わらぬ愛情が伝わってくる作品。独自の画風を確立するにはまだまだ時がかかるが、鮮明な色彩と大胆な筆遣い、色面を主にした画面構成などには、後年につながるものを見ることができる。2度のアトリエ火災のため若い頃の作品の多くが焼失しており、このような初期の作品は貴重。
《天竜川》
1935(昭和10)
43.7×55.0
絹本着色
《臥龍梅 小下絵》
1944(昭和19)以前
70.2×176.2(屏風)、24.7×82.0(小下絵)
紙本墨画淡彩、二曲一隻屏風