ロダンが生前から鋳造を依頼し、絶大な信頼を得ていた鋳造家・アレクシス・リュディエによる鋳造作品。人体のシャープな輪郭や生き生きとした筋肉の表現が特徴である。《考える人》は、もともと代表作《地獄の門》のモティーフとして制作されたが、その後独立し、185cmの大型像、65cmのオリジナル原型像、そして本作の38cmの3パターンが作られた。この作品は、大正期に日本にもたらされ、第二次世界大戦の戦禍を免れ(一部焼けた部分があるが)、現在に至っている。
《考える人》
1880年(鋳造1920年以前)
h37.2×28.6×23.6cm
ブロンズ
西王母は古代中国の仙女。その宮殿の庭に三千年に一度花を咲かせ、さらに三千年を経て実を結ぶ桃の木があり、実には不老不死の効能があった。その仙桃を盗み食いし八百年生きた男が東方朔。岩や樹木・遠山は南画風で揺れ動いているかのようだが、人物は凍りついたかのようなストップモーション。不思議なムードがただよう。 若冲・大雅・応挙らと同じ江戸中期の京都で描かれた。作者=狩野永良は、山楽・山雪にはじまる京都の狩野派=京狩野の第六代で31歳で若死。その貴重な大作である。
《西王母・東方朔図屏風》
18世紀半(江戸中期)
各155.7×359.8cm
紙本墨画着色,六曲一双屏風
ハッカンは雉子の仲間で中国南部原産。日本へは平安時代以来ペットとして輸入され、貴族等に愛玩された。そのつがいを描く。華やかな彩色、細密精緻な描写が見事で、首から肩にかけての白い羽根は透明感があり、レースのように繊細。画面サイズは、福岡市美術館のカワウソ図とほぼ同寸、同じく実物写生にもとづくものだろう。落款の書体から、探幽が61歳頃に描いたと推定される出色の作品である。松方公爵家旧蔵品。
《白(はっかん)図》
1661(寛文元)年頃
54.2×94.2cm
絹本着色,掛幅装
琴高は中国の仙人で、200年以上も遊歴したのち、水に入って龍子を捕え、また約束の日に鯉に乗って出て来るという仙術によって、弟子や人々を驚かせたという。その琴高が水中から現れた瞬間。伝統図様でなく、見返り美人のようにわずかに横顔を見せる。異色の狩野派画人として知られる一蝶は、伊豆三宅島に配流、12年におよぶ流人生活を強いられた。「朝湖」落款から、配流以前の作品と考えられ、衣の線など師の狩野安信風で、切れ味のよさをし
《琴高仙人図》
17世紀後半(江戸初期)
130.0×43.7cm
紙本墨画着色,掛幅装
風刺画で知られるビゴーの貴重な油彩画。静岡県沼津市・江浦付近から淡島を通して富士を遠望する構図である。ビゴーは、1882-89年にかけて日本に滞在し、熱海や伊豆などを長期に渡り旅行しながら、多くのスケッチを描いた。本作は、遠景に富士を大きく描き、また前景の草むらの表現は、技術的にも優れており、風景画家ビゴーの意外な一面と力量を示すものとなっている。帰国する直前に描いたものと思われ、彼にとって日本の思い出を母国に持ち帰る目的があったと考えられる。
《富士(沼津江浦》
1885-87(明治18-20)年頃
24.0×58.0cm
板、油彩
五姓田義松は、日本人としては、初めてフランスのサロンで入選した画家である。高橋由一の影に隠れ、長らく評価されていなかったが、近年になり、その力量が認められている。本作は、浜離宮を主題としたもので、いわば「名所絵」といえるものだが、当時海外に向けて輸出していた「お土産絵」とは一線を画しており、正確なデッサンをもとに堅固な画面構成を行っている。また、前景の岩の質感表現などには、油絵具の粘り気のある性質がうまく活かされていて、フランスで評価された五姓田の技量の高さを窺わせる。
《浜離宮》
制作年不詳
44.0×68.5cm
キャンヴァス、油彩