ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージは、18世紀イタリアの版画家・建築家。ローマの都市景観画で非常な名声を博した彼は、考古学者として遺跡の図も多数残している。晩年に近い時期のこの作品には、それまで彼が景観画や考古学的著作の中で描いてきた、様々な建築や遺跡の場所が示されている。地図の番号は欄外の索引と対応しており、その場所がどの作品集に入っているのか、一目で分かるようになっている。南を上にして描かれているのは、今日の通常の地図とは逆である。これは北からローマに入ってくる外国人に、大輪の花のように拡がる都市のイメージを与えたことであろう。
《ローマおよびカンポ・マルツィオの地図》
1774年頃
121.5×75cm
紙、エッチング
マルコ・リッチは17世紀から18世紀にかけて活躍した、イタリアの画家、版画家。ヴェネツィアの北、ベッルーノで生まれ、画家であった叔父セバスティアーノの許で修行を積んだらしい。均衡の取れた構図を持つ静謐な風景画、特に古代ローマの遺跡を自由に組み合わせた綺想画の領域で知られている。本作品とは左右が逆になっている油彩画があることから、油彩よりやや遅れて制作されたのが、この版画だと考えられる。画面右にある、溝付の柱を持つ神殿の廃墟やスフィンクス、破損した水盤、また画面左の巨大な壷などは、リッチが好んで用いた舞台装置である。リッチによる銅版画は33点が知られており、そのうち20点がリッチの没した直後、1730年に刊行されている。本作品の画面右上にある「9」という番号は、この版画集に所収の際の番号だと思われる。
《神殿とゴシック教会のある廃墟の眺めの地図》
1725年頃
39.7×31.6cm
紙、エッチング
ともにオランダに生まれの二人の作家による、共作の版画作品。ワーテルローはアムステルダムを中心に活動した画家で、素描とエッチングの制作で知られる。ライシャーはオランダからドイツに移り、ザクセンの宮廷画家を務めた。かつて堅牢な建物であったことをうかがわせる古城は、現在オランダの歴史的建造物として有名な、ハールレム北方にあるブレデローデ城の廃墟と考えられている。
《古城》
1660年以前
8.8×10.2cm
紙、エッチング
オランダの風俗画家として知られるオスターデは、生涯に50点のエッチングを制作した。中期に描かれたこの作品は、オスターデ唯一の風景版画とされる。画面中央で釣り糸を垂れる男性と、それを背後で見守る子ども。この二人がオランダの田舎の風景に溶け込み、親密な空間を作り出している。《納屋》に続き、当館で2作目のオスターデ作品である。
《釣り人たち》
1653年頃
11.2×16.3cm
紙、エッチング、ドライポイント
江戸の洋風画家・雷洲を代表する銅版画シリーズ。浮世絵の東海道五十三次に想を得たものであるが、場面の選び方は独創的で、透視遠近法を強調した低い視点による空間構成や、山容、樹木、雲などの銅版画特有の表現が、画面に不思議な異国情緒をもたらしている。西洋画法を取り入れた独特の風景表現は秀逸で、このような表現が、江戸時代に達成されていたのは驚きである。
《東海道五十三駅》
1844(弘化元)年
4.3×10.1cm(江戸日本橋)ほか
紙、銅板、56枚
《江戸日本橋》 |
《さかほ川より小田原を見る景》 |
《するがのくに よ志ハらひたりにふしを見る景》 |
《おかへ》 |
《はままつ》 |
《ふた川 火打坂》 |
《ちりう》 |
《四日市》 |